+ ――イイコト + 2016堂郁の日(遅刻)SS 夫婦期の短いお話
――緑と住宅地とが融合した閑静な文教地区にある関東図書基地。
といっても、小鳥のさえずりで目が覚める訳ほどではなく、カーテンの隙間から差し込む朝日でもなく、愛する妻の声で朝が始まった。
「篤さんー、朝だよ朝!」
「――今日公休日」
「出かける約束!デート!」
確かに約束はした。
一昨日は、閉館後に良化隊の検閲抗争があって、後始末も含めてくたくたになって帰ってきた。昨日は館内イベントの警備計画の練り直しで堂上は残業した。帰宅したのは、郁と一緒に夕飯を摂ることもかなわない時間だった。
郁は起こしに来たのは、それほど早い時間ではないだろう。だが、今はまだ、こうして目を閉じたまま、愛妻の声を聴いていたい――
「んもう起きてるんでしょ?あたし、頑張ってお弁当作ったんだけどなぁ」
そうかそうか、郁もそれほど早起きした様子はなかったので、弁当作りを終えられる程度の時間なんだな。
「――そりゃあ楽しみだな」
「じゃあ起きようよ、ね?」
ここしばらく公休日は衣替えや食料品の買い出しといった雑務に追われていて、確かに休日を楽しむことをしてなかった。だから郁がこの日を楽しみにしていたのは十分知っていた。
が。
「――眠り姫を起こすには、儀式が必要だろ」
「誰が姫よ。ああ、篤さんは王子様じゃないんだもんね。篤姫?ってことはあたしが王子様?って柄じゃないからせめて騎士にしてよ」
「なんだ、白馬に乗ってくるのか?」
「そうね。憧れたなぁ、童話の中の白馬の騎士って」
まだ覚醒したくなくて、目を閉じたままで、郁との会話を楽しむ。瞼の裏には、ちゃんと郁がくるくると表情を変えて話しかけてくる顔が浮かぶ。
「だがなぁ、おとぎ話の中には悪い奴もいて、おばあさんのふりをしたオオカミだっているだろ、こうして」
横たわっていた堂上を覗き込むようにしていた郁の腕をとって、自分の胸元へ体ごと引き寄せる。
「うぇっ、あっ、ちょっ」
ぼすんっと腕の中に収まった郁を抱き込んで、再び目を閉じる。
「――あたし、オオカミさんに食べられちゃうの?」
「姫がお望みなら」
「篤さん、お話ごちゃ混ぜ」
息を吸い込めば、郁の香りが鼻をくすぐる。ふわり、と胸に届き、温もりと鼓動と交わって、柔らかい思いが広がる――ここが、俺の、自分の在るべき場所で、在るべき安らぎで。
「ん、このままでいい……」
「欲のないオオカミさんなのね」
ふふっ、と愛しい妻が閉じ込めた腕の中で笑う。視覚以外の感覚を研ぎすませて、彼女の表情や、吐息を、愛情を感じ取るのも悪くない――ああ、味覚がまだだったか。
「知ってたか?俺が美味しいものは最後に食べる主義だってこと」
わざと閉ざしていた自分の視覚を解放して、目の前に有る妻の額にキスを落とす。触れるだけのキスで、あっ、と漏れた声が愛らしくて。カチッと堂上自身にしか聴こえないスイッチが入る。
「オオカミも可愛い奥さんも前では強欲だぞ――」
オマエウマソウダナ、とある絵本の中の一文をなぞる。
「……だってお出かけ」
ふくれっ面で小さく反論してくる姿すら愛しいとか、ほんとにどうかしてる。
「ちゃんと行く。お手製の弁当楽しみだからな」
抱きしめたまま、片手をやわりと背から滑り落とすと、僅かに体をこわばらせるのは堂上の愛撫に反応しているということだと十分知り尽くしている。
「朝ごはんも、ちゃんと出来てるよ。冷めちゃう……」
「先に郁を食べたい」
双丘をゆるりと撫であげて有言実行とばかりに、郁をいただくことに取り掛かる。耳朶を甘噛みし、吐息を重ねて甘い舌先に貪りつく。
「――ああ、ウマイナ」
俺だけの姫は、息も絶え絶えになりながら、堂上の与える快楽に身を委ねるのだから、堪らない――
◆
――朝なのに。
明るくていいお天気なのにな……と、肢体をベッドと堂上の胸に預けながら郁が呟いたのは聞こえなかったことにした。うちは遮光カーテンだから関係ないだろう、と堂上は思うのだが、愛妻はいいお天気だから早く出かけたかったのにという意味で、コトに及んだことが不満だったらしい。
「――でも良かっただろ」
堂上の呟きの方は聞こえなかったことにはされず、意味を理解して恥ずかしくなったらしい郁はドンドンと堂上の胸を叩いて「篤さんはほんとに狡い」と抗議の言葉を漏らした。
「美味しいごちそうのお礼に、夕飯は外メシにするか。昼は郁の弁当だしな」
「いいの?篤さんの奢りだよ?」
「ああ」
生活費と別にそれぞれに割当ている小遣いで、妻を喜ばせるのも悪くない。
「和食がいいなぁ、天ぷらとか!家じゃ自分で作らなきゃだから」
「俺が作ってもいいぞ」
「やだー。今日はごちそうしてもらうんだもん、お店何処にしようかー?」
「移動中にゆっくり検索すればいいだろ」
胸に抱く妻の髪をゆるゆると撫でながら、余韻と夫婦の会話に浸る。慌てなくても、恋人とのデートのように時間の制約もない。二人で惰眠を貪るのも、楽しいことを考えるのも、それだけで十分心地よくて楽しいと感じられる。
こんなイイコト、他に無いよなぁ。
多分、俺は妻よりもずっと、この結婚に満足している。
「――ほんとにお腹すいた。ご飯食べよ、篤さん」
「ああ」
もう一度だけ、と触れるだけのキスを合図に身体を起こして、本当のその日を始めた――
Fin
(20161019 堂郁の日遅刻)
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