+ 23時45分 +  夫婦期   かねのね企画』という某オンラインノベルズ内ミニ企画にこっそり便乗 / 

                 テーマは『除夜の鐘』ですが『鐘』という言葉と擬音語NGという制約付付きです。 

 

 

 


一際深く更けていく夜、張り詰めた極寒の空気の中、静かにゆったりと時を刻む。

 

 

ゆく年を一人で過ごすのは初めてじゃない。閑散とした独身寮の自室で一本だけ買った女の子向けの缶チューハイをちびちびを口に含みながら年末年始のテレビ番組をハシゴする。日付が変わる、その瞬間に流れているのは大概お笑い系の番組だった。

 

でもたった一度だけ、紅白歌合戦からすぐに静寂な暗闇の山寺の画像に切り替わり、静かなゆく年くる年を眺めていた事がある。

――それは、特殊部隊が総出で茨城県展の検閲阻止に出向き、玄田が重症を負った年だった。

 

命を掛けて検閲と戦う。

未来へ続く明日はあると信じて生きていながら、時に死と隣り合わせの過酷な状況にいつでも飛び込む。解っていて此処へ来たはずなのにあの時の光景が脳裏に蘇ると足が竦む。

 

もしも、明日が無かったら。今日しか無いとしたら、最後に瞼の裏に映るのは誰だろう?

 

郁はそっと携帯の画面を開き、その人の名を呼び出した。

『堂上教官』

 

 

 

◆◆◆

 

 

 

結婚して数年、正月休みは顔見せと年始の挨拶を兼ねて双方の実家に一泊ずつ泊まって過ごしていた。

だが今年の堂上班は久しぶりに正月勤務シフトが当たった。

翌日は防衛員待機隊員としての通常勤務だ。だけど年越し蕎麦くらいは食べて年末年始気分を味わおう、と郁は蕎麦を茹で、堂上は天ぷらを揚げていた。

 

「お義母さんのお正月料理が食べれなくて残念ですね」

「うちはお袋の仕事柄おせちは購入だし、そもそも俺はおせち料理へのこだわりもない」

「まあ、あたしもどうしても食べないというほど好物な訳じゃないけど」

「お前が帰省しないと水戸の家の方が寂しがりそうだな」

「うちはいいんですよ、兄弟多いし孫達もたくさんいるから寂しいより忙しいでしょうし」

「実家が賑やかなのとお前が帰省して顔を出すのは、別の次元だと思うぞ」

隣の部屋でつけっぱなしにされた紅白歌合戦のBGMに、カラカラと揚げ油の音が重なり高く響いた。

 

――母と顔合わせるのが煩わしくて、帰省ぜずに独身寮でぼんやりテレビを見ながらなんとなく迎えていた新しい年。

一人の時は、賑やかなテレビの音と裏腹に空虚な気持ちを小さな胸に抱えていたのを思い出す。

 

 

 

◆◆◆

 

 

 

豪華な正月料理を用意することもなく、二人で作った年越しそばを食べ、堂上はそのまま晩酌を続けながら大晦日の風物詩を眺める。

静かな夜に、出演者の高らか声と華やかな音楽。

今年は夫婦水入らずで、この時をゆっくり過ごせる。改めて実感しながら頬が自然と緩むのが判る。

無言で画面に視線を向けながら、どちらともなく炬燵の隅で指を絡める。フィナーレが終わると年明けまで後十数分。

 

23時45分、というテロップと同時に派手な電飾の画面が、薄暗い極寒の景色へと一瞬で変わる。各地の風景、と言っても山寺と都心では随分趣も違う。

365日という時を経てまたひとつの年が終わる、そのカウントダウンの音がテレビの向こうから響き聞こえる。

 

「もしね、今日が『人類最後の日』です、って言われたらどうします?」

「最後の日?」

「『明日で地球は無くなります』っていうその時をただ待つだけのカウントダウン」

寮で一人年越しをするときは孤独に気づかぬよう、明るいカウントダウン番組にチャンネルを合わせるようにしていたが、たまたま紅白歌合戦からそのままにしていた事があった。

 

この寒空の下で、新しい年を迎える瞬間に希望を胸に抱きたい、と思いながらも孤独感に目を伏せ、知らぬうちに一筋の涙粒を落としている人がどれくらい居るのかな。

「何かの小説か映画の話か?」

「―――ううん、前にもそんな風に考えたことあったなぁって」

そんなことを思い出したけれど。

今、同じ画面を見てもそんな孤独感で埋め尽くされている訳ではなくて。

 

堂上は絡めた手を離して炬燵から立ち上がると、郁のすぐ横の隙間に身体ごと滑りこんできた。

「こうして、最後の瞬間まで郁の一番近くにいる」

一ミリでも近く。

最後の言の音が郁の吐息に重なるような距離で堂上が答えた。郁も一ミリよりもっとずっと傍に在りたくて身体をぎゅっと近づけて堂上の唇を受け入れる。

互いの腕で背中に回してこれ以上無いほど強く抱き合う。

角度を変え、息を継ぎながらも決して離れることなく長く口づけを交わす。

 

――明日の為に今日がある。

今、この瞬間から互いを失う時まで出来る限り近くで在りたい。その溢れる想いで掌が互いの背を這いまわる。

 

 

最後の瞬間には、一つに溶け合っていたい。

そんな想いで、年が明けるその時も、その先もずっと離れず互いを分かちあった。

『どんな光景も最後まで一緒に見ます』

部下であったときも、恋人であったときも、妻である時も。

「あたしも、ずっと傍にいたい。離さないで」

指先をぎゅっと絡めて、郁は年の始めに小さくねだった。

 

 

 

 

fin

(from 20150101)

 

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