+ 半歩の階段 前編 +   婚約期

 

 

 

 

 

冷戦状態から一歩踏み出そうと郁からメールを入れて。

堂上に連れられて来た、カミツレデートをしたレストラン。
そこで思いがけないプロポーズをされて、晴れて恋人から婚約者になった。


それからの二人は矢が飛ぶように結婚に向けた準備を進めていった。
婚約指輪選びから始まって、上官への結婚の報告、手続き、両家の挨拶やら結納、結婚式場探し、結婚式の準備、そして官舎への引越の準備。

なるべく二人で決めよう、と話をしてはいたが、決めることも多くて公休だけでは足りなかった。

ある程度の段取りがきまり、あとは結婚式と引越の準備くらいだろう、となると、今度は郁の回りだけが忙しくなった。
堂上は図書大学出身で図書隊に入隊したため、昔からの友人といっても、地元の同級生がほとんどで、あとはほとんど図書大同期生位しか今は付き合いがない。
なので、結婚式だといっても、当時親しかった同級生数人を招待した位で、ほとんどの参列者は図書隊関係者だ。

逆に郁は地元の高校の友人、大学の友人、陸上部時代の恩師や先輩や仲間、そして図書隊での同期生で仲の良い子、と招待者として名前を挙げたメンバーはバラエティに富んでいた。
ここからが問題で、冠婚葬祭のうち、葬に当たるものは自分で全部連絡を取る必要はないが、婚に纏わることは、やはり自分の口から報告したい。
となると、日にちも無いので、郁の帰寮後は毎晩この「結婚の報告と結婚式の招待」についての電話に費やされた。
久々に連絡をとる友人達。特に女の子は取り巻く環境が著しく変わっている場合は多い。
実家に連絡してみたら、ひとり暮らしをしていただとか、おめでた婚で式も上げずに嫁いだとか、さまざまな事情もあって、そのたびに郁は長電話となった。

「えええー!郁が結婚!?」
「おめでとー!で相手はどんな人?かっこいい?」
など、電話で集中砲火を浴びるのは必須だ。
そして最後には「えー、嫁に行っちゃう前に皆で会おうよー」となるのだ。

そんな訳で、堂上は夜の官舎裏での逢瀬も郁の長電話のために叶わず、公休前日となれば、郁は友人達との久々の飲み会やらプレ結婚を祝う会だのに誘われて、二人で外泊することもままならなくなった。


「あれ、堂上?明日は公休なのに、外泊じゃないの?」
共用ロビーで在庫切れしたビールを買っていると、ちょうど居合わせた小牧に話しかけられた。
「ああ、郁は学生時代の友達と飲み会だ」
「ふうん」
「お前こそデートじゃないのか?」
「ああ、今日はレポート仕上げるから、って明日の午後からデート」
「そうか」
そうと知ってれば、たまには小牧と二人で飲みに行ってもよかったな、と堂上は思った。
結局、場所を変えていつも通り、堂上の所で部屋飲みになった。

「なんか笠原さん忙しそうだね」
「そうだな」
そう答えて、婚約者の女の付き合い事情らしきものをツラツラを小牧に話し始めた。
「それで堂上は通常勤務日の夜も、公休前日の夜も、こうして放っておかれてるわけだ」
ふてくされた様子でビールを煽る堂上に、からかい口調で小牧が言い放った。
「お前も結婚前はこうなるかもしれんぞ」
「それはないなー、俺もっと準備期間おくから」
お前みたいに焦って式挙げたりしないよ、と小牧が笑う。

「しょうがないなぁ、堂上が寂しがってるよ、って笠原さんにメールしてあげようか?」
「ばっ、馬鹿!余計な事せんでいいっ」
「あれ、でもいつも笠原さんが飲み会だ、っていえば迎えに行ってるんじゃないの?」
そういえば今日はこれから出かける、というような様子が堂上には見受けられない。
「ああ、飲み会の後はお泊まり会もするんだと、結婚式には来れないけど、わざわざ郁のお祝いの為に上京してきた子がいるらしく、その子と数人で泊まってくるって」
「ふうん、お迎えすら振られちゃったんだ」
「おまっ、からかうのもいい加減にしろ!」
普段の仏頂面の堂上からは想像も出来ないくらい、ふてくされた子どもの様だった。

「我慢しないで、放っておかれて寂しい、って言ってみれば?」
「言うか馬鹿」
そう返すと堂上は立ち上がって、冷蔵庫の中から小牧が持参した冷や酒に手を付けた。
「明日も式場とか行くんだろう?そんなに飲んでいいの?」
「少しだけだ」
「そんな醜態さらさないで、ちゃんと笠原さんに言えばいいのに」
これ以上口を開いても小牧にからかわれるか、責められるかだけだ、と判断し、堂上は見る気もないテレビのスイッチを入れてお茶を濁した。





翌日式場での打合せがあったので、その最寄り駅で郁と待ち合わせした。
小牧はあのあと、しばらくは黙って深酒に付き合ってくれていたが、消灯時間には「ほどほどにしなよ」と声をかけて自分の部屋へ戻っていった。
その後も少し飲み続けたせいか、完全な二日酔い、とまではいかないものの 自分でも少し酒が残っているな、と感じながら出かけてきた。

「篤さん」
駅の階段側で佇んでいると、郁が改札口からにこやかな笑顔で小走りに寄ってきた。
「お待たせしました...て...?」
郁の眉間に少し皺が寄った。

「・・・篤さん、昨日飲みに行ったの?」
「いや、小牧と部屋で飲んでた」
「・・・もしかして、ちょっと飲み過ぎた?」
少しお酒臭い気がするー、と言って郁は怪訝そうな顔をした。
「そうか?」
「うん・・・ちょっと息が?」
めずらしいですね、お酒に強いからたくさん飲めるのは知ってましたけど、いままで翌日にお酒臭いなんてこと、ほとんど無かったのにー、と郁はすこしふくれっ面だ。

行くか、の意味も込めて堂上は郁の手を取った。そして--------
「汗流すとアルコールが抜けるから、郁と二人きりで運動するっていうのはどうだ?」
引き寄せた郁の耳元に口を近づけ、そっと冗談半分で提案した。
「ヤですっ!お酒臭い人とキスしたくないもん!」
叫びだしたい所だったが、郁はかろうじて場所と内容をわきまえ、ささやき声モードで怒った。
「だいたい、なんで今日打合せがあるってわかってるのにそんなに飲んだんですか?!」
「・・・最近お前が俺の相手してくれないからな」
「・・・結婚式に来てもらう友達に連絡するんだって、大変なんですよ!」
久々に電話するのが、結婚の報告というのだって照れくさいのに『笠原が結婚!?その前にあんた彼氏いつできたのよ?!』となった友人には一から十までつっこまれて、王子様が直属の上司で婚約者になった話しを延々とするのだ。
正直携帯で毎日長電話も通話料金だって馬鹿にならない。

「お前と長く一緒に居たいから結婚するんだ、なんでこんなに我慢しなきゃならない」

「あたしだって我慢してないとでも思ってるんですか?!ひどい、教官!」

売り言葉に買い言葉か。郁は名前呼びすら忘れ、教官呼びに戻っていた。

「わかってくれないならいいですっ。午前中は衣装とメイクの話しだけですから一人で行きます!お酒臭い人はどこかで汗でも流して来て下さい!」
「おいっ、郁!」
郁は捨て台詞だけ残し、自慢の脚でワンピースの裾を翻しながらタクシー乗り場へと駆け出し、一人で乗り込んで行ってしまった。
普通に歩けば15分程度の式場だから普段は二人で歩いていくのだが、堂上に捕まりたくないと判断してタクシーを選んだのだろう。数十m追いかけたところで、郁を乗せたタクシーは堂上の視界から消えた。

「くそっ」
二日酔い気味だとはいえ、それほど調子が悪かった訳ではない。だが5歳年上の余裕は完全に失われていて、郁が友人に結婚式を祝って欲しい、一生に一度の綺麗な姿を見て欲しい、という気持ちを汲んでやることもできず、つい二人きりの愛を紡ぐ時間が無いことにだけ、気持ちが向かってしまった。
ポケットから携帯を取り出し、郁にコールを入れる。
だが呼び出し数回のあと、すぐに留守番電話に切り替わって、郁は出てくれる様子もなかった。

このまま後を追って打ち合わせにいけば良いのだろうが...郁のあの様子じゃ、打ち合わせどころじゃなくなるかもしれん。
式場に行くと言うことは、結婚を取りやめる気はないんだろうから、とりあえずここは郁の行ったとおりにした方が無難かもしれない。
・・・・・・俺も少し頭を冷やした方が良さそうだしな。
そう思い直して再び携帯の画面を呼び出し、検索を始めた。


午後の打ち合わせ、というのは正しくなく、実は当日の料理の試食会であった。
だからランチタイムの少し後に指定されていた。
郁は試食会を楽しみにしていたから、そこで会えるだろうと思ったのだが、郁はなかなか現れなかった。
15分待ったところで電話をかけたが、朝と同じく留守電になった。
メッセージを入れ終わって少しすると、メールが届いた。

「すみません、今日は帰ります」

郁から届いたのはたった一言だけ書かれたメール。
レストランの係には婚約者が体調を悪くして来れないとメールがきた、と話し、堂上はあわてて図書基地へと戻り始めた。







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(from 20120918)