+ Delay in Love 4 +      堂郁上官部下期間(稲嶺誘拐後あたり)  ◆激しく原作逸脱注意+オリキャラあり◆

 

 

 

 

妊娠検査薬の信頼性は100%じゃないから必ず産婦人科に行くように的な内容は注意書きに記されていた。


それからまた一週間。時折やってくるムカムカと戦いながら、平気な顔して業務につくのはちょっと辛かった。訓練もあったけど、それほど激しいものではなかったので助かった。
柔道の時間は女の子の事情で今日はちょっと・・・と堂上に伝えて別の業務に就かせてもらった。
以前にも生理痛が酷くて見学を願い出たことがあったのでそれについては堂上は気にしていない様子だった。


妊娠が本当ならいつまでもずるずると先延ばしにしていて良い訳無い。
ようやく意を決して産婦人科に一人で出向いた。
結果は陽性。
おめでとうございます、と女性の先生に言われて俯き黙ってしまった。その様子をみて女医は「産みますか?」と訊いてきた。
「まだ決めてません」とか細い声で伝えると、とあるサークルのパンフレットをくれた。

そこは産むか産まないかを迷っている自分のような人たちの相談に乗ってくれるNPO法人だと書かれていた。
病院を出た後しばらく悩んだが、電話で次の公休に相談室のアポイントをとった。




あたしは隠し事が得意な方じゃないのは解っている、よくだだ漏れだ、と教官達にも柴崎にも言われるから。

だからあの日以来なるべく堂上とも班のみんなとも業務以外に一緒にいる時間を少なくするようにした。一緒になる時はみんなで。とにかく堂上教官と二人きりになることは避けた。食堂で見かけない事を気にしたのか、一度小牧教官に「笠原さん、ちゃんと食べてる?」と聞かれたことがある。
「食べてますよ。最近とある店のランチがマイブームなんです、だからこっそり1人で行くんですよ」
と、ありもしない嘘をついた。心配して声を掛けてきてくれた小牧には申し訳ないがこれからつき続けるであろう嘘に比べれば昼休みの過ごし方ぐらいならばれても怒られないだろうと思いつつ・・・


相談室では未婚で産むかどうか迷っている、相手には何も告げてない、だけを話をした。
出産のリスク・中絶のリスク、妊娠するということはどのように女性の体が変化して、生活も変化していくか、などを詳しく教えてもらった。働きながら産む方法も。
どちらを選択するにしても、まずは相手にちゃんと伝えるべきだと言われた。「そうですよね・・・」と空返事だけ残してその日は帰寮した。


通常勤務の柴崎が不在のうちに、郁は産婦人科でもらった豆つぶのようなものが写っているだけの冴えない写真をそっと手帳から取り出した。
これがあたしのお腹の中にある命。しかも、堂上教官とあたしの血を引き継いだ命、たぶん。
こんな人の形ですらないものが、新しい生命なんだと思ったら身震いがした。
8ヶ月後くらいには、外の空気を吸って声を上げて泣くのだと聞かされた、それが産声だと。
この命を自分の都合でどうかしていいなんてそんな事は許されないと思った。
すべてがあたしの身に起こった事であたしの責任だから---------誰にも迷惑掛けたくない。そして小さなプライドかもしれないけどあたしのせいで誰かが後ろ指差されるような事にはしたくない。


次に相談室に足を踏み入れたときには「相手には妊娠を告げたくない。結婚で縛りたくないし、それを望んでいる人じゃないと思うから」と正直に告げた。
だから一人で産み育てる方法があるのかどうかを相談した。

妊娠検査薬で陽性のサインをみてから、毎晩不安で1人涙を流した、声こそ出さなかったけど、ただただポロポロと涙がシーツを濡らしていた。
携帯の中に取り込んだエコー写真をときどき開いてお腹に手を当てる。
まだ何も感じる訳はないけど、自分のぺったんこなお腹の中で大きくなっていると思ったら、泣いていられない。
泣く時間があったら、どうやったら誰にも迷惑かけずに一人で産み育てることが出来るかを必死で考えた。
インターネットで妊娠出産に関するサイトを調べまくり、相談コーナーの検索には『シングルマザー』『未婚で出産』『母子家庭』など思いつくキーワードでいろんな事例や相談・回答を読みあさった。

考えても考えても・・・図書隊で特殊部隊員として仕事を続けることは無理だと判って、また涙した。

これから節約もしなきゃならないから、外ランチも今日で最後だな。
そう思いながら白い便せんを開いて初めて書く「退職願」に頭を悩ませた。体調を考えたらごまかしながら訓練に参加することも避けることももう無理だから早く出さないと。
特殊部隊に配属されたときの事を思い出したら、志半ばで諦めなる自分が情けなくて少し泣きそうになったけど、泣いている場合じゃない、と思い直して筆を進ませた。



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(from 20130414)