2.こころが生み出す闇           【内乱時期:上官部下期間】     from  のりのり




---------やけに明るいと思ったら今日は満月だったんだ。

まだ日暮れの余韻が残る空に低く大きく浮かんだ真ん丸の月。



定時に図書館業務を追え特殊部隊庁舎に戻ると、不得手な日報すらさっさと終えて寮へと向かう。
夕飯、どうしよう。
同室の柴崎は遅番なので戻ってくるのは二時間以上先だ。このままコンビニ行って夕飯を調達するか食堂に向かおうか迷う。今日は呼び出しもなく、ごく普通の業務で普通に一日が終わったが郁の心身の疲労は半端ではない。針のむしろに座らされる日々もそろそろ一ヶ月を超え-----------身を小さくして生活する事にも慣れた。平常心で居ようと思うのに他人の声色に過剰反応しそうになる自分が情けない。堂々としてろ、と上官達にも同僚の手塚にも言われたけれど、未だに冷たい視線を投げかけられひそひそとどこかで罵られているのかと思うと、これは冤罪だから胸を張ってろと言われても限界があるよ・・・と弱気になる。課業後くらいは、回りに気を遣いたくない。

明日は訓練あるし、ちゃんと食べないときついよね。
泣きそうになるのをぐっとこらえて、目の前に浮かぶ大きな満月を再び見上げた。



帰寮した足で食堂に向かい、その後すぐ風呂も済ませた。まだ人気の少ない食堂でも隅に座り、どこにも目線を向けずに黙々と箸と口を動かした。風呂でも湯船の一番端にちょんと座り、人が増える前にさっさと上がって自室のベッドに飛び込んだ。だけどこんな早い時間から転がっても寝付けるはずがない。郁はむんっと身を起こしてカーテンの外を見つめた。帰りがけにみた大きな月が一段と輝きを増していて美しく、切なかった-------------。

お風呂に入った後だけど---------思い立って、郁はトレーニングウエアに着替えた。
こんな時は身体を動かすに限る。基地内のグランドを走るのでもよかったのだが、せっかく月が綺麗だから気兼ねなく眺められる場所でも探そう、と基地の外へと目的地を変更した。通用門を出るといつものコンビニとは逆の方へと走り始めた。






◆◆◆





定時から一時間ほど残業して堂上は帰寮した。他にも仕事は残っていたのだが気分じゃなかった。庁舎を出ると、残業したはずだよな?と勘違いするほど外が明るい、見れば低く大きく満月が黄金色に輝いていた。
-------------中秋の名月か。
吸い込まれるようなまん丸い月の輝きに心がざわめく。
何も考えずにいつも通り食堂に向かう予定だったが、気が変わって基地外の定食屋に足を延ばす事にした------------頭も気分もスッキリしない寄るの気分転換には、月を長めながら散歩するのも悪くない。



お気に入りの定食屋は駅へ向かう方とは反対の基地の裏側にある。洒落た訳でもなく、知っている人しか利用しないような小さな店だ。ビールと天ぷら定食を頼んで一人で晩酌する。通常勤務に少しの書類作成、別にいつもと変わらないはずなのに、自分が深いため息をついている事に気づいた。
-------------原因は直属の部下が査問にかけられているという事実に他ならない。

『大丈夫か』と聞けば『大丈夫です』と答える。

そう強がりを言って笑うあいつに、ぽんっと手を乗せて励ましてやることしかできない。執拗に不条理とも思える質問を叩きつけられる査問。真偽を問われているのか、精神的な重圧に屈しろというのか、と本来の査問の目的すらわからなくなりそうになる。査問外で堂々としていろ、と言われてもいつの間にか人目を気にし人目避ける生活を強いられる。身をもって知っているからこそ反吐が出る、と心の奥で誰になく罵る。あの玄田ですら「耐えてくれ」としか言えない状況。

そもそも身に覚えのない査問でなぜあいつがこんなに苦しまなきゃならん!
思わずビールグラスで豪快にテーブルを叩いてしまった。

-------------月の引力で俺まで弱気になっているのか。
軽く自らを失笑して、ビール一本の晩酌と食事を済ませるとさっさと店を出た。





◆◆◆





明るい月に照らされて基地の回りをぐるっと走り人気の無い浄水場の道へを向かう。建物が少ないので月の輝きが先ほどよりもぐっと増して見えて---------夜空が眩しい。郁が最初に見た頃からは随分高い位置に上がったので小さくなってしまったが。
走っていた足を止めてウォーキングに変えた。

-------------秋は月が綺麗すぎて、泣かされちゃうんだよね。
美しすぎて切ない。綺麗なその光が郁の心の中を見透かして行ってしまうようで、弱気になる。
『折り返し地点ですね』なんて笑ったけど、後半分、まだ半分だあたし。弱気になったらダメだと解っているはずなのに、今ならば、誰もいない此処だからと挫けた心が顔を出す。


-------------泣いても、いいかな?


あたしが今泣いているのは、綺麗な満月のせいだ。
売り言葉に買い言葉な勢いで査問に挑んだら突っ込まれて自滅しかねない。だから堂上や小牧にたたき込まれた事でしか応えない。軽率な行動を取らないようにと理性を総動員して査問に挑む。
査問中に幹部の冷たい視線を浴びることには慣れた。皮肉やイヤミも聞き飽きた。挑発的な質問には深呼吸してクールに装うことも覚えた。
査問よりも辛いのは日々の生活だ。部屋をドアを開けて廊下に出ることすら躊躇する。誰にも会いませんように、と無意識に願ってしまう自分が情けない。


いつまで続くの?いつ終わるの?

心から笑えない自分がいる。
人気のお笑い番組を見ても何もかもが耳を素通りして目にも留まらない。
いっそ、このままあたし壊れてしまったら楽になるかな?

そんな弱気な心を持つあたしだから、きっとお月様に見透かされているんだ。
郁はぽろぽろと溢れ落ちる涙を止めることなく、拭うことなく、ひたすら歩き続けた。

そんな郁を綺麗な月がゆっくりと追いかけてきていた。






◆◆◆





店を出ると同時に堂上の携帯が震えた。
届いたメールの内容を見て顔をしかめると、『わかった、探してみる』と簡潔に返信した。
『笠原が走りに出たようなのですが、まだ帰寮してません。グランドにも居なかったのですがご存知ですか?』
柴崎の送ってきたメールに不安が募った。何か事件が起こるとかそういう事ではない、だが俺が探さなければならない気がして、郁が走りに行きそうな処を脳内検索した。




------------時が巡ればほら輝きが返るよ

住宅地の中にある小さな児童公園のベンチに座って足を抱える。そんなフレーズを聞いたことがあるな、とふと思い出した。

あたしの査問も時間が解決してくれるのかな。
だけど泣きたいのは今、なの。
誰にも迷惑掛けないから、明日からまた胸を張って歩くから、今だけ、泣いてもいいよね?
そう小さく小さく誰に聞かせるでもなく呟いて、郁は膝に顔をうずめて泣いた------------




まさかこんなところに、というような小さな公園の前で何気なく立ち止まって視線を向けると、ぽつりと立つ外灯の下のベンチでうずくまる人を見つけた。
あっ、とすぐその見覚えのあるトレーニングウエアの色でそれが確信に変わった、あれは俺の部下だと。

ゆっくりと近づくと小さくすすり泣く声が聞こえる。
月の光に照らされたショートカットの髪はより薄色に見え華奢な印象にしかならない。

------------なんで一人で泣いてるんだ、こんなところで。

そうさせてしまった自分が、何も出来ずにその丸まった背中を見つめるだけの自分が歯痒い。だけどそれ以上の事をしてやれる立場に無い、今の俺は。

こいつがこんな理不尽な目に遭うのは間違っていた俺のせいだ、と捨ててきたはずの自分を責める。
だがここまで育てた今の俺は、こいつが自分で選んだ道を諦めないならしがみついて来いと願ったはずだ。
その足を止める事なく全力で走ってくるなら、いつか俺が受け止めるべきではないかと。

受け止める覚悟が出来ていない俺が言うべき事ではない、か。

受け止めたい、と何処かで思っているはずなのに、あいつが向かっていきたい、と思う所に果たして俺は在るのだろうか--------
求められたい、と思う心が顔を出すのが怖いと言ったら笑われるよな、この歳にもなって。






◆◆◆







「飯は食べたか、笠原」
泣き疲れて意識が遠のきそうになっている時、聞き慣れた声が耳に届いた。あわてて膝頭に乗せていた顔をあげて声の方を見た。
「・・・・・・堂上教官」
繁華街とは逆にある公園になんて偶然来るわけがない。
「せっかくだから、月見に付き合え」
差し出された白く小さなコンビニ袋を反射で受け取る。中味はビールとノンアルコールカクテルと、肉まんが2つ。
呆然としている郁の手から袋をこじ開けて2本の飲み物を取り出し手渡す。

「綺麗だな、月」
郁が開けるのを待たずに堂上はビール缶のプルトップを開けて、乾杯代わりに缶を重ねてから喉へと流し込む。郁もあわててプルトップに手をかけて「お疲れ様です」と小さく呟き口を付けた。甘い果実の味が郁の乾いた口内を潤す。
明るすぎて、泣いていた顔がバレバレだと気づいて慌てて頬の跡を掌で拭き取る。
「腹減ってるなら2個とも食べていいぞ」
「い、いえっ、ちゃんと食堂で食べましたから!」
それでも時間が早かったので小腹が空いているのは事実だ、運動もしたことだし。
「じゃあ1個ずつな」
外気温との差で少ししっとりした肉まんを手渡されて「いただきます」とこれも小さく返した。なんてことのないコンビニの肉まんが、郁の喉を通って全身を温めてくれた気がした。

「本当に外で月を見ながら飲むってのが、意外としないよなぁ」
こうしてぼんやりと外で綺麗な物を眺めるというのは贅沢な時間だよな、そんな風に軽く郁に訊いた。
「どうせご馳走してくれるんだったら、月見団子がよかったな」
「贅沢言うな」
「風情の問題ですよ!」
「お前の口から風情とはなぁ」
「仏頂面な鬼教官にも風情は似合いませんっ」
ベンチで横に並んだまま、互いを見ることなく月に向かって交わす会話。器用そうなのに、どこか不器用な所もある上官だと気がついたのはいつの頃だったか。

「・・・いい月見になったか?」
「はい」

大丈夫か、とは聞かない、泣いてもいい、とも言わない。だけど数センチの距離で隣に座るこの人がどれだけ心を痛めてくれて、気遣ってくれているのかがひしひしと伝わってくる。堂上篤-----------篤い、とはよく書いた物だと思う。苦々しい表情と冷淡な眼差しの奥に秘められたものを垣間見る度に、この人の背中を追いかけたいと郁は思うのだ。

「じゃあいくぞ」
コンビニ袋に空き缶とゴミを回収してベンチから腰を上げた。
「いくら月見に良い季節だと言っても夜は冷える、熱出されて休まれたらご馳走した意味がない」
「だ、大丈夫ですよ、馬鹿は風邪引かないっていいますし」
持ちますっ、とゴミとなった袋を堂上の手から引き取る。
「ああ、馬鹿じゃ困るがな」
ぽんっと郁の髪に分厚い掌が乗った。

たぶん-----------これが今一番、欲しかったかもしれない。

頭に乗せられたその手に自分の両手を重ねた。この人の、言葉ではない、こんなところが-----------。

「教官こそ、手が冷えてますよ、風邪引かないでくださいね」

郁は右手を重ねたまま堂上の掌をとって、頭から頬へと一緒に滑り落とした。
頬の熱で堂上の冷えた掌を温めるようにじっとそのまま据えた。

「カクテルと肉まんのお礼です」
堂上の掌を温めながらも心に小さな火が灯るような、そんな温もりを『今だけ、少しだけ』と心の見えないところで味わった。




「馬鹿、どうせならちゃんと温めろ」
そう言われたと思ったら、郁の頬にあった掌はぐいっと頭ごと堂上の胸にすっと引き寄せられ、どんっとぶつかった。
わあぁっ!?
咄嗟に身体ごと離れようとすれば、その右手で押さえつけられたまま動かすことができなかった。

「次はここを貸してやるから、俺が見えるところで泣けバカ」

きょ、教官横暴っ!!
そう声をあげようとして止めた。だって堂上の胸元にされるがままに身を預けたら、心が少し楽になれたから------------。
あたしが強くなるまで、今だけここお借りしますね、心の中でそっと呟いて流れに身を任せて目をそっと伏せた。





fin

(from 20131125)