+ 在るべきひと +   夫婦期

 

 

 

 

 

堂上と官舎で暮らすようになって2年近く経つ。

つまり、結婚して2年ほど。世の中で言う新婚とは言い難いが、周りからは「あんた達は相変わらずラブラブなのね」と言われるし見られているらしい。

 

 世の中で言う”ラブラブ”がどの程度を指し示すのかはわからないが、それでも一緒に暮らし始めた時を思い起こせば、やはり二人だけにしかわからない”新しい関係”のような”距離”の様なものができた気がする、ごく自然に。

 

 

 

 結婚する前は門限の時間を迎える度に寂しさを感じた。

眠りについて数時間も経てば、また直ぐ顔を合わせると解っていても。

 

 官舎裏での逢瀬で垣間見る堂上の表情は、優しい微笑みと少し物欲しげな顔。

与えられるのは激しいキスとささやかな愛撫。

時間切れになるまで与えられる優しさに、切なくなった。

 

『離れがたい、ってこういう事なんだ』

 

 堂上の温もりを感じながら、心の奥に芽生える小さな気持ちに情けなさを感じた事もある。

一秒でも長く、と願った時間が終わると、堂上はあっさりと郁を解放し、「行くか」と消えそうな声でそっと囁く。オンオフも、夜の逢瀬もきちんと分けられていて・・・・・・堂上の潔さに少し泣きたくなったものだ。

 

 きっとそんな風に切なくなるのはあたしだけ。

それはあたしが恋愛初心者だからであり、堂上教官はきちんと大人の分別を身につけているから、そんな素振りを見せないんだ、と思った。手を引かれ、寮まであと少しの距離を歩く時は、次の楽しい逢瀬の事を考えることにしよう、と心に決めて、寂しい気持ちを紛らわす。

 自室に戻ってベッドに滑り込むと、堂上の優しい顔を思い浮かべながら、”おやすみなさい”と打ち込んでメールをした。送信ボタンを押した後に「夢でも堂上教官に会えますように」と願いながら。

 

 

 

 結婚して一緒に住み始めて。

 

 一番嬉しかったのは、その別れの門限が無くなったことだった。

一緒の場所に帰る、一緒にいられる、それがこんなに幸せなことなんだ、とそれが何よりも嬉しかった。

存分に傍にいて、存分に触れ合って。

『結婚』という後ろ盾が、『恋人』という不安定な枠をぐっと支えてくれた。

互いに自然のままの二人で居ていいんだ、と思えることが、初めて知った『安心』という幸せだった。

穏やかな心を持ち合うことで、きっと、もっと、人として強くなれる気がした。

そして、そんな気持ちを堂上にも与えられたら─────なんて、ずうずうしいかな。

 

 

 

 

◆◆◆

 

 

 

 

「ただいま」

「おかえりなさーい」

 台所に立つ郁は、エビフライの衣つけをしていたのですぐに玄関までは出向けなかった。郁が手を休めて堂上の顔を見に行くよりも早く、堂上の方が郁の隣に立って軽く顔を近づける。

 一緒に住み始めた頃は、この“お帰りなさい”と出掛けの“行ってきます”のキスすら恥ずかしかったなぁ、とふと思い出す。

 

 でも今は自然に、触れるだけのキスで刹那に気持ちを交わす。それが小さな幸せの一つだと感じる。

言葉にされることはなくても“愛されている”と思えるから。

 

「エビフライ揚げるのこれからだから、お風呂入っていいよ?」

「洗濯物は?」

「さっき回したばっかりだからまだかな」

「じゃあ先に入ってくる」

「うん」

 どちらの仕事、と決めることなく、互いが家のことを気にする。疲れて出来そうにないときは、素直に「今日は休ませて」という間もちゃんとくれる。

家の中で、互いの心地よい距離が出来てからは、ずっと触れ合っていることも少なくなったけれど、家のどこかに”相手”を感じながら一緒でない事をする時間も嫌ではないから。

 

────それでも、新婚さんみたいに”ラブラブ”なのかなぁ。

 

食堂で久しぶりに会った同期の女の子たちに言われた言葉を思いだしながら、郁は首を傾げた。

 

 

 

 

◆◆◆

 

 

 

 

「片付けておくから風呂入ってこい」

 食後、堂上にそういわれて、素直にうんと頷いた。

二人分の食器などは直ぐに洗い終わるので、そう言ってくれたときはきっと洗濯物も夜干ししてくれるんだろうな、と心の中で感謝する。

 

 お言葉に甘えて、いつもよりゆっくり湯船につかって訓練で酷使した腕や脚を揉みながら、ぼんやりと考える。

 

 あたし、幸せすぎるよなぁ。

出来の良い旦那様だと思うけど、それでも喧嘩だってするのだ。ほとんど小競り合いだけど。それに、そんなときに見せられる堂上の顔だって、郁には新鮮なのだ。

 

 堂上が憎き鬼教官でしかなかった時の顔。尊敬する上官として追いかけていた時の顔。

 オンオフをきちんと切り替えていた甘い恋人の時の顔。

 結婚して、一緒に暮らしてから知った優しい夫の顔。

 

 そしてもう一つ、そのままの ”堂上篤” 顔がある、と知ったのはそんな風に喧嘩して言い合ったり、心から笑ったりしたときだろうか。

 

 それはどんな顔?と聞かれても困るし、それまで知っていた彼の顔をどう違うのか、と言われても上手く説明など出来そうにない。

 だけど、郁にとっては、もう一つの ”堂上篤” の顔があるような気がしてならない。

そして、きっと、それが一番好きな ”彼の顔” の気がするのだ。

 

「嫌だな、って思うところだってあるのにね」

 それが許せちゃうんだよなぁ、なんでだろう?

ちゃぽんっ、と湯船で音を立てながら、わざとこんな篤さんは嫌いだー!っていう顔を作ってみてから、一人で笑った。

 

 

 

 

◆◆◆

 

 

 

 

「洗濯物ありがとうー」

「ああ、ちょうど干し終わった」

 

 風呂からあがってリビングに出向くと、ちょうどベランダから堂上が戻ったところだった。

郁は、そのまま近づいて予告無しに”ぎゅっ”っと堂上のお腹に抱きついて、肩越しに顔を擦り寄せた。

「・・・・・・どうした?」

「・・・ん、確かめてるの」

郁は回した手にほんの少し力を込めた。そして、くんくん、と大げさに堂上の匂いを嗅ぐ仕草をした。

「・・・何を」

「ん、篤さんを」

確かに、堂上は此処にいて。触れた体から、熱と、匂いとを感じてホッとする。

「・・・残念ながら、幽霊でもなければ、替え玉でもないぞ」

 

 言葉にしようのない、幸せな想いのようなものを抱えて。

今は、ただ、目の前に在る、この人を感じたいだけだから。

 

郁の背にも堂上の腕が回されて、包み込まれる。

「・・・・・・篤さんのせい」

「俺のせいか?」

「うん」

 郁は眠るように目を伏せ”堂上篤”を感じる。

ああ、きっと、新婚の頃と違うのは、こうしているだけで十分安らぎを覚えること、だと思う。ありのままの自分で、この先もずっと、この人と共に在りたいと思う。

 

 あやすように背をぽんぽん、と叩かれて、郁はようやく顔を上げる。

堂上と間近で視線を絡めた後、どちらとも無く目を閉じ、触れるだけの口づけを交わす。

 

「俺のせいだというなら、責任はちゃんととってやろうな」

 そういうと姿勢を低くし、郁の膝裏に腕を入れて軽々と郁を抱き上げた。いわゆるお姫様抱っこで。

「え、いや、そういうつもりじゃなくて!ま、まだ早いから、えいがっ、この前録った映画みようよ!」

「却下。俺のせいなんだろ?じゃ、その気にさせたのは郁のせいな」

逞しい胸に抱かれて、郁はトントン、と小さな抗議の意で胸を叩く。

「本気で抵抗してないだろ?」

「う・・・・・・」

 

 いや、ほんとにそんなつもりじゃなくて!あ、篤さん、ぎゅっ、ってしたかっただけなんだけど!

 

「部下と嫁のすることの責任はちゃんと取るから安心しろ」

「安心はしてますってば」

「じゃあ手加減はいらないな」

「!?」

 

 予想外の展開が日常の中で起こるのも、また”ラブラブ”のエッセンスの一つなのかも知れない。

 

 しばらく腕の中から解放して貰えそうにない、と観念したところで、郁は堂上の首に両腕を回してギブアップの意を伝えた。

 

 

 

 

 

fin

(from 20140801) 

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