+ 2 傷つけるため +   キスの目的×5題     from 來々琉さま 

 

 

 

 

 

 「笠原さん」

 

不意に部下が声を掛けられたのは、もう日差しがなくなり夕闇の帳が図書館の周囲を取り囲もうかという頃。共に今日一日の館内警備に従事し、そろそろ申し送りをするという時間だった。

振り返っていまいち自信なさげに笑いかける様子は、恐らく相手の顔を見てもピンとこないからだろう。―――まあ、つまりはいつもの如く顔を覚えていないのだ。

そんな事を相手はこれっぽっちも気づいていないのだろう。手を振り振り笑顔を振り撒いて傍までやって来た長身でイケメンといわれる部類の男性利用者。つまりは―――自分と正反対の。

部下、と自ら戒めた彼女の隣へ立つと、いかにもバランスの取れた立ち姿になる。

 

「この前レファレンスしていただいた本、良かったです」

「あ…あ、あ。ありがとうございます…」

「それでですね。今日も何か良い本を見つけていただこうと思って」

「え…?あ…、すみません。今日は館内警備担当なんでレファレンスはお受け出来ない事になってるんです」

「え?なんですかそれ。そんな規定があるんですか?」

 

気分を害したように顔を歪ませる。それに余計テンパった郁がわたわたと

 

「いえ、あの、それは「私達の本日の業務は館内を見回り異常がないか確認する事です。本日の案内業務担当の者を呼びますので」

 

割って入るのも上官たる自分の役割だ。ちょうど通りかかった柴崎に片手を挙げて合図する。瞬時に郁の困り顔に気づいた柴崎はゆっくりと近づいて来て男に声を掛けた。

 

「お客様。レファレンスなら私がお受けしますが?」

「いや、僕は笠原さんに―――」

「笠原は警備の申し送りがありますので、申し訳ございませんが。―――教官、笠原」

 

視線だけ送る。それを承知した二人が利用者に一礼し柴崎に目配せして立ち去ろうとする。その様子に何を勘違いしたか

 

「へぇーなんだ。上司とデキてんの?」

 

先程までとはうってかわってニヤニヤと下卑た笑みを浮かべた男に殴りかからないよう堪えるのが精一杯だった。

 

「こんなに広くて仕事も一緒ならヤりたい放題じゃん」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ひっく…ひぃ……ぅ…っ

 

 

ずっと堪えていた郁が痛々しくて。残業、という名目が郁以外の人物に通じたか通じなかったかはどうでもよかった。

武器倉庫のドアの前に立つ。何重にも厳重に鍵をかけられたそれは重々しい音を響かせ横にずれる。

暗闇の中の一筋の光は、今開けたドアの隙間から入る月の光。

 

「笠原―――お前、ファイルを…」

 

振り返りながら差し出した手に、ぽつりと雫が落ちた。見上げると自分より背の高い部下が。

まるで真珠のような涙をぽろぽろと零して。

 

「―――笠原」

 

堪らなかった。

まるで命綱のように抱き締めていたファイルを奪い取り放り投げる。プラスチックが割れた音に呆けていた顔が驚いて目を見開くのが視界に入ったが、構わずその華奢な身体を抱き締めた。一瞬強張った身体がゆるゆると力を抜いて、おずおずと凭れ掛かってくるのと同時に漏れ始めた嗚咽に胸が締め付けられる。

 

あんな男に。こいつが。

 

「なん…で、きょ…、かんが…っ、あんな、っ風に…」

「―――ああいう目でお前を見る男もいるんだ」

「あたしなんかどうでもいいんです!」

 

キッ!と睨み付けられたその瞳からは今だ涙が止まる気配はない。

 

「レファレンスも…っ、大切な事だって、わかってる…んです!―――でも…あたしは…」

「本を守りたいんだろ?」

 

お前はそういう奴だ。

そうしてここにやって来た奴だ。

 

「そうなんですけど……あたし、あの人みたいに守りたい、んです」

 

 

 

すぐにわかった。郁の言う『あの人』。

あの時の三正だ。

今の俺じゃない。

 

 

 

―――理解した途端、脳が煮えた。

なんで目の前の俺を見ない。

なんであの時の俺ばかりを追い求める。

そして腕の中の追い求め続けている存在に―――理性がぶち切れた。

 

 

醸し出す雰囲気が変わった事に気づき驚いたのだろう郁が、怯えた表情を見せる。

 

「きょ…教、官…?」

「―――笠原」

 

止められなかった。

止められるはずもなかった。

否定し続けている自分を追いかけるこんな郁を目の前にして。

今、この場で後生大事に彼女が抱える三正の存在をめちゃくちゃにしてしまいたい。

それで郁が傷つく事になろうとも。

ただ、自分を求めて欲しい。

 

後頭部に右手をまわし引き寄せた。さらさらと指に触れる淡い髪がもっともっととその肌触りを求める。

僅かに開いた唇にその視線が吸い寄せられた。

 

「―――ッ!」

 

強引に唇を重ねる。強張る背中に左手を回し、柔らかなその唇の隙間から舌を差し入れると、やっと情況を理解した郁から声が漏れ始める。

 

「うんんんーーーッ!!うぅ…ッ!!」

 

首を振り顔を逸らそうとする郁をきつく自分に押し付けながら顔の角度を変え、彼女の口内を自分の味に塗り替えていく。

 

「んは…ッ!ぁ…ッ」

「―――…ッ!」

 

弾かれたように頭を上げる。胸を押され、よろけたところを突き飛ばされ、大型武器が並んだ棚に背中を叩き付けられた。

ぐっ、と息が詰まり痛みに耐えながら目を眇める先には。

 

「…あたし、の事…嫌いなら、こんな事しなくても…ッ」

「―――か…」

「は…じめて…だったんだからぁーーーッ!!」

 

白い頬を零れる涙が綺麗だと、ただそれだけを思っていた。

まるでスローモーションのように郁が身を翻し、ドアの隙間からするりと出ていくのを無言のまま見つめる。

この指の間から滑り落ちていった髪のように。

一時の至福の時間が泡沫のように消え去って。

彼女の髪の先が向こうの外へ消えた瞬間、足は力を失ったかのようにその場に崩折れた。スラックス越しに感じる床の冷たさに身体を震わせる。

僅かに口の端が痛み、指を当てる。ピリッとした刺激に先程郁に噛まれた事を思い出した。

 

「痛…ッ」

 

お姫様の初めての口づけを奪った代償は甘い痛み。

夢のまた夢だったお姫様の心に少しでも俺の存在を残せただろうか。

それが、堂上篤という名の傷であろうとも。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

途中まで全速力で走ってきて、漸くその速度を緩めたのは武器庫からかなり離れた所。はぁ…はぁ…と荒い息をつきながら空を仰ぐと暗い空にぽっかりと月が浮かんで、周囲を明るく照らしている。

郁は立ち止まって止めどなく流れる涙をスーツの袖で拭った。薄化粧を施した顔は既に人に見られれば引かれる程ぐしゃぐしゃな顔面へと変化している事だろう。

それでも―――唇だけは拭えなかった。

そっと濡れた唇を指でなぞる。

 

「初めて…だったのに…」

 

追いかけたい背中があの日の三正だと知ってまだ数週間。漸く堂上への気持ちに感づいて、やっと―――真っ直ぐに見れるようになったのに。

 

「―――ひどい、よ…」

 

郁なりに夢はあった。ファーストキスのシチュエーション。

それが真っ暗で機械油の臭いが漂う中でなんて。

そしてまるで怒りをぶつけられたようだなんて。

 

ことごとく理想は潰された、けど…

 

 

―――嫌じゃなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

堂上はゆっくりと庁舎へ向かって歩いていた。今頃女子寮へと逃げ帰っているであろう郁の事を思い出し、ため息が洩れる。冷静になれば取り返しのつかない事をしてしまった。これは立派なセクハラだろ。

逆に郁に避けられ続けるであろうこれからの日々を思う。ズキズキするこの心の痛みは本当は郁のもののはずだ。

とっ散らかった思考を不意に破ったのは草むらから飛び出してきた黒い影。

 

「!?」

 

特殊部隊隊員があろうことか押されて近くの樹の幹に押し付けられた。

暗がりに浮かぶ相対する顔は―――

 

「…かさ…は、ら…」

「―――あたし、ファーストキスだったんですから…ッ」

「……すま「だから」

 

琥珀色の瞳が睨め付けるように、見下ろす。

 

「責任取って、貰います」

 

そうして彼女から押し付けられたセカンドキスは。

 

その傷を癒して余りある程。

 

 

 

 

 

fin

(from 20140619)

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