+ 手の届くしあわせ +      

 

 

 

 

 

言葉は足りない。

だけど、伝わるものは確かにある。

 

 

初めて実った恋は、あたしから見れば分不相応なまでにできる、経験豊富な余裕たっぷりの上等な人が相手だった。

あたしには経験が全くない。

お付き合いも、キスも、デートも、何もかもが初めてづくしですぐにキャパオーバーしてしまう。

 

最初のキスだけだよね。

 

新しい手帳に去年のデータを写しながらふとそんなことを考えた。

 

あと、告白もか。

 

教官とのお付き合いであたしの方からの行動はそれだけで、あとは全部教官から。

お付き合いに至ったあれこれを思い出してあたしは寮の部屋の中で頭を抱えてゴロゴロと転がった。

真っ先に文句を言うに違いない柴崎は業務部の飲み会でまだ帰って来ないから叫び声さえ気を付けておけばきっと苦情は来ない。

 

勢いだけで口走った一度目の告白は、大事な想い出だ。

だけど!

シチュエーションとか!

二人の状態とか!!

なんであの場でつるっと宣言しちゃったんだろう、という後悔は状況が収束して事後処理という名の日常に戻るころ遅れてやって来た。

病室に会いたくて仕方がなかったはずの教官を訪ねに行くのに一生分の勇気を振り絞った気がする。

そして、二度目の告白。

もう、言わされた感満載だったのに、それでも言葉が震えるのがわかって、それで自覚できた。

 

あたしにとってこれは手放せない恋だ。

 

上手くいってもいかなくても、きっとこれまでの玉砕みたいな扱いにはできない、初めての恋。

・・・呼び止めて貰えてよかった。

あの場面でダッシュするだけの気力も残っていなくてよかった。

たぶん、今までのあたしなら制止を

振り切ってでも足に任せて逃げ出して終わらせていただろうけど。

 

そうなったら、あたしと教官はどうなってたのかな?

一度も聞けなかった教官からの告白を貰えたんだろうか?

もしかして。

 

明らかにプライベートでの教官からのアプローチがどれだけあったっけ、と思い返す。

立川にお茶しに行ったのは明らかにプライベートだよね。

あと、コンテナの中で絡めた指も。

でもその前というとさっぱり見当がつかない。

教官は何かとフォローしてくれてたけど、それがあたしが部下だからなのか、女だからなのか、特別だったからなのか、いまだにわからない。

 

一つ溜め息をついた。

 

今度聞いてみようかな。

でも、教えてくれるもん?そういうのって。

だって、あたし、聞いてない。

好きとか付き合おうとか、そういう言葉は全部あたしからの一方通行じゃん。

 

「言葉が、欲しいな」

呟いた声は小さかったけど口に出してしまうと余計落ち込む。

お付き合いってこういうもんなの?

あたしからキスして、告白して始まったオツキアイ。

教官の顔も声も仕草も甘い。

恋愛経験値の低いあたしはその何もかもに振り回されて、幸せを感じて、想像もつかないその先に躊躇するので精一杯。

キスも触れあうのも手を繋ぐのだってあたしの方からしたことはない。

もちろん、それ以上もだ。

 

あたしはちゃんと教官と対等なのかな?

一人で考えているとぐるぐると不安の渦に引き込まれる。

ちゃんと、いろいろわかったはずだったのに、一人でいると余計なことを考えてしまう。

 

新しい手帳と古い手帳とを炬燵に放り出したまま天井を見つめる。

ヤバイ、泣きそうだ。

いっそ泣いてスッキリしとく?

こたつの上が定位置のティッシュの箱を手元に引き寄せかけたそのタイミングで携帯の着信が鳴り響く。

「はい笠原です!」

反射で出たのは教官からの通話。

「残業お疲れさまでした」

「ああ、疲れた」

素直に弱い所を見せてくれるのは甘えてくれてるってことだよね。

ちょっと顔が緩む。

「お前、今暇か?」

「?・・はい」

何気なく時計を見上げれば八時半。定時で上がったあたしは晩御飯を済ませて風呂は寝る前に入るつもりでのんびりしていたところだ。

「ちょっと出られるか?ロビーで待ってる。外に出るからコートだけ着てこい」

言いたいことだけ言うと通話は切れた。

ええ!?

出掛けるってどこまで?

門限もあるからちょっとその辺、とか??

服!感じのいいのどれだ!?

いやでも待たせる訳にもいかないし!!

無情に時間を刻む秒針を見つめながら慌ててジーンズに綺麗色のセーターに着替えるとダウンを羽織って部屋を飛び出す。

階段を降りながらちょっと伸びてきた襟足を撫で付ける。跳ねてないよね・・?ああ、鏡見てくればよかった。

 

 

窓ガラスに映る自分の髪が目立っておかしくないかだけ横目で確認して共有ロビーに出ると、その姿は勝手に目に飛び込んでくる。

コートを羽織ったままソファで新聞を読んでいる。手ぶらな所を見ると荷物は部屋に置いてきたのだろう。

「教官、お疲れさまでした!」

上がりかけた手は小さく振ることでごまかす。プライベートで敬礼するなとは言われていてももう癖のようになっていてなかなか直らない。

あたしを見上げたその瞬間柔らかく笑いかけられてほわんと胸が暖かくなる。

「早かったな。行くぞ」

広げていた新聞を丁寧に戻すと教官は当たり前のようにあたしの手を掴まえた。

顔が赤くなるのがわかってはい、と呟くので精一杯だった。

 

靴を履き終わるなりまた手を繋いで教官は訓練速度で歩きだした。

コンビニ帰りの隊員が何人か目を丸くしてあたしたちを見ていたのにいたたまれずに顔を伏せる。前を見なくても行き先は教官が知っているみたいだし。

「あの、どこに向かってるんですか・・?」

訓練速度で五分、どうも駅の方には向かっていないらしいことだけはようやくわかって、ついでに知った顔も見なくなったなと思って聞いたら急にスピードを落とされてぶつかりそうになった。

「悪い、速かったな」

大丈夫か、と聞かれて頷くとそうか、とだけ帰ってきて、捕まれた手はコートのポケットに潜っていった。

それで、こっそりと恋人繋ぎに組み替えられる。

 

ああああの、答えてもらってないんですけどっ!

 

と心の中でだけ盛大に突っ込むけど、ポケットの中で手の甲をなぞる教官の親指が気になって言葉にならない。

赤くなった顔を必死で伏せるけど、教官にはバレバレだろう。こんなときは五センチの身長差が恨めしい。案の定ちらりと見上げられて満足気ににやりと笑われた。

「まあ、騙されたと思ってついてこい。すぐだから」

こんなときどうしたらいいの?!

柴崎ならきっと笑ってかわす。

鞠江ちゃんならはにかんだ微笑みでもって見つめあうんだろうけど、あたしには無理っ!!

手の温もりとかその、絡められた指とか、嬉しいのにいっぱいいっぱいになって何もリアクション出来ない。

 

 

一時ゆっくりになった歩みは少しずつ無理のない程度にまた早まっていって、住宅街のとある角で突然止まった。

「・・・・うわぁ」

不審に思って見上げたその先には眩いイルミネーション。

夜遅い時間なのに小学生にもならないくらいの小さな子供もいる。

住宅街によくある、小さな児童公園にちょっと装飾過多なほどの色とりどりの灯りが飾り付けられている。

中央の木はプラタナスだろうか、明らかにモミノキではなくて完全に落葉しているのに、その回りにワイヤーかなにかで固定したのだろう、ツリーの形にライトが灯っている。定番の星にキャンドル、天使に混じって手作りと思しき少しいびつなサンタが橇に乗っていて微笑ましい。

ニュースなんかで取り上げられる洗練されたイルミネーションではないけど、どこか暖かいその公園の光景は心に沁みる。

知らず、くすりと笑いが漏れた。

「なんだか、にぎやかなイルミネーションですね」

教官に目線を戻すとばっちり目があってどぎまぎする。

「・・だな」

ずっとあたしの方だけ見てたんだろうか、この人は。

「あ、あ、あのサンタ、隊長に似てませんか!?」

照れ隠しにそんなことを言っていると、公園にいた人たちが大声で何か言い合っているのが聞こえる。

「そろそろ消すぞ~、さーん、にーい、いーち、ど~ん!」

謎の掛け声と一緒に夢のような灯りは少しずつ消えていって、公園の中にいた人達がぞろぞろと帰って行くのがわかった。

声をかけていた年配の男性も姿を消してそれ以上何もないはずの公園に、何故かちらほら大人の姿が残っている。

行くぞ、と促されてその公園に入ると、そこは星の海だった。

「すごい、綺麗・・・・」

イルミネーションの間に蓄光材の星が設置してあったらしい。ささやか過ぎるその光はさっきの眼にキツいほどの派手派手しいイルミネーションから一転、幻想的だった。フェンスに散りばめられた星が銀河のようだ、とかいうとちょっと言いすぎだろうか。仄かに光っている程度だから、広くもない児童公園にいる他の人影もぼんやりとその場所がわかる程度でしかない。

「綺麗だな」

耳許で囁かれた声に首を竦める。今、あたし、絶対顔赤い!!

空いた片手で胸元を押さえる。

静まれ、あたしの心臓!

教官がいってるのは景色のことだから!!

「景色だけじゃないぞ」

なにそれ、反則・・・・・・!!

全く同じ距離で、それでもあたしにしか聞こえない微かな音量で囁かれて、もう頭が完全に考えることを放棄する。

「・・おい!」

膝の力が抜ける寸前で右腕一本で抱き支えられて辛うじてへたりこむのだけは避けられた。

 

あたしを、楽に支えてくれる力強い腕。

あたしのことを、綺麗だとか言っちゃう人。

あたしを、預けて安心できる場所はここだ。

 

変にあちこちに入っていた力を抜くと密着したところからじわりと教官の温かさがしみてくる。

寮で落ち込んでたのがバカみたいだ。

口先だけでいくらでも言える甘さなんかじゃあたしには足りない。

教官の肩にもたせかけていた頭を少しあげると教官の顔が目の前のはず。

「郁?」

呼ぶ声に甘さが滲む。暗くて表情は見えないけど、あたしはきっとこの表情を知っている。

目を閉じるのと唇が温もりに包まれるのは同時だった。

 

 

 

あたしが落ち着くまで待ってから、教官は帰るぞ、と宣言してまた繋いだ手をポケットに収めた。

帰りはプライベートの速度だ。

「今の公園って、何だったんですか?」

明らかに遊具もある児童公園で個人が勝手にあれだけのイルミネーションは出来ないだろうと思って一番の疑問をぶつけると、答えはあっさりしたものだった。

「町内会と、青年部有志のイベントらしいぞ」

家庭で使わなくなった電飾を集めて始めたのがきっかけらしく、もう10年も続いている行事らしい。

確かに子供が小さい頃に張りきって庭だの窓だのにクリスマスの飾りをしていても子供の成長につれやらなくなる家は多い。その、不用品を再利用するつもりがいつの間にやらあれだけの派手さになったらしい。

「・・詳しいんですね」

誰かと来たのかな、と深読みすると一つ溜め息をつかれる。

「来たのは初めてだぞ。あの妙な掛け声のおっさんが調べものに来たんだよ」

その時、自慢の我が町のクリスマスイルミネーションについて滔々と語られたらしい。悪意がないだけに、途中で切り上げる訳にもいかず全部聞く羽目になった、と苦い顔で溢すのが可愛くてくすくす笑う。

「こういうの、お前は好きだろう」

あ、それで。それでこの寒い中、忙しい中で時間を作ってくれたの、かな?

「教官は、こういうの嫌いですか?」

いやその言い方は我ながら可愛くないんだけど!

素直にハイ、と頷いておけばよかったかも、と思ったところでバッサリ切られる。

「この寒い冬の夜中にわざわざ明かりごときを見に行く趣味はなかった」

やっぱりあたしに合わせてくれたんだ。

ちょっと申し訳ないな、と思うか思わないかくらいのタイミングで重ねられる。

「でもお前となら何度でも行きたい。楽しかった」

あたしをちょっと見上げる角度の教官の目に見慣れない色がある。ドキドキして目が離せない。捕まったら逃げられなくなる気がして少し怖いような、なにか。

あ、とかう、とかいいかけては飲み込んでを繰り返して、やっとの思いでヤケクソ気味にじゃあまた是非!!とだけ言ってあとはひたすら深呼吸をする。

ややあって小さく噴き出したようにわかった、とだけ返された。

えええ、何が分かったんですか教官、あたしには自分が全然わかりませんけど!!

 

「コンビニ寄るぞ、いいか」

プチパニックのままこくこくと首を振ると、そのままいつもはあまり来ないコンビニに立ち寄る。

ちょっと遠いから、というだけで敬遠しているコンビニだ。系列店がもっと近くにあるから来ないだけで品揃え自体は変わらないなりに、ついデザートコーナーに見入る。

あ、季節の限定デザート発見!

買おうかな、と思ったところで財布を持ってきていないことを思い出した。

「なんだ、買ってやろうか?」

後ろからひょいと覗きこんだ教官が同じものをふたつ籠に入れかけたのを止める。

「いいですよ、また買いに来ますから、教官の分だけどうぞ!」

「見舞いに散々手土産持ってきたんだ、これくらい甘えとけ」

小さく小突かれてまた反応に困る。どこまでが甘えていいラインなのかあたしにはさっぱりわからないので余計に。

「えと、それ、結構がっつり甘いと思いますけど教官食べられるんですか?」

「柴崎の分はいらないのか?」

いつも二人分買ってることまでしっかりお見通しだったらしい。

「今日は業務部の飲み会でいませんよ、柴崎」

教官の動きが一瞬とまる。じゃあ時間あるな、と呟いて二個目を棚に戻した。

 

 

コンビニを出ると教官はちらりと腕時計を確認した。

「寄り道するか」

柔らかい提案に微笑む。

お互い寮暮らしで二人きりになる機会は少ないから単純に嬉しい。

薄暗い公園に入って、さらに人目を避けるように奥に向かうにつれ緊張で体が固くなる。教官にバレないように静かに深呼吸していたらぐい、と抱き寄せられた。

「緊張すんな、バカ」

小さく溜め息のように耳許を掠める教官の声と息にゆっくりと力を抜く。

教官にはあたしの考えてることなんてバレバレなんだ、と思うと恥ずかしいよりもちょっと悔しい。

あたしにはわかんないのに。

教官が考えていることも、したいことも。

「郁」

呼ぶ声は甘い。

あたしの髪をそっと撫でる手も重ねられた唇も優しい。

でも角度を変えて唇を貪られるうちに気持ちがいっぱいになってもう無理、というところまで追い詰められる。

限界の少し先まで連れていかれてくぐもった声が漏れる。夜の公園は静かでその声が思ったよりも大きく響いた気がして肩に力が入る。

「余計なこと考えるな。それ、聴かせろ───」

無茶なおねだりに反論しかけた唇をまた塞がれて一気に深いキスになる。もうこうなるとあたしはついていくのに精一杯で何も考えることができない。

声が漏れる度に恥ずかしいのと気持ちがいいのとが混ざりあって体温が上がる。

 

どれくらいそうしていたのか、唇から温もりが離れた。

やめないで、と後を追って短く触れるだけのキスをすると苦笑の気配がした。

「──あんまり煽ってくれるな」

耳許の呟きにぞくりと背筋が震える。

「それ、あたしの台詞です」

呟いた声はかすれて自分の声と思えなくてちょっとたじろぐ。

「可愛いな、お前」

わざとのようにぎゅっと抱き締められて、それでも加減しているのが充分わかる。

「教官」

まだうまく纏まらない頭で何かを伝えたくて呼ぶと抱き締める強さはそのままで顔を覗きこまれる。

「なんだ?」

「好き──大好き」

あたしの囁きに教官は何故か眉間の皺を深くして、あたしの頭を抱き寄せた。

「ああ、俺もだ」

 

 

そろそろ帰るぞ、と宣言してまたゆっくりペースで帰路につく。

折角二人きりなのにあたしはさっきのやり取りを思い出して恥ずかしさに俯いたまま、教官は何やら物思いに耽る風に前を向いたまま、手だけは繋いでいる状態だ。

何度か話しかけようとは思ったもののその思案顔を見てしまうとちょっと腰が引けてしまう。

何を考えてるのかな。

その精悍な顔立ちをじっと見つめていたら不意に教官が振り返った。

「なぁ、郁」

「なななななんでしょうかっ!」

見つめてたのがバレたのかと動揺のままに返事をすると、繋いでいた手が離れて、頭を撫でられる。

「緊張するな、って言ったろ。思ったんだが柴崎はこれから飲み会で遅い日も多いな?」

こくこくと頷く。顔の広い柴崎の12月は通常時の特殊部隊と同じペースで飲み会に呼ばれるのがデフォルトだ。

「なら、これからもこうやって出掛けるか?」

年末にかけての繁忙期でデートのできる休みも少なくなるのがわかっているこの時期だ。その素敵な提案にうなずきかけて、待ったを掛ける。

「え?でも、教官、残業は?」

「断ればいい。もともと俺の仕事じゃないものがほとんどだ」

すごい、嬉しい。でもでもでも。

「無理しないでくださいね?」

顔が緩むのがわかる。ちょっとだけ上目遣い気味に教官を見る。

教官は眉間の皺をどこにやったのかという表情で笑っていた。

「デートができるなら無理ぐらいするぞ」

責任感の塊みたいな教官の言葉とも思えなくてびっくりする。

「プライベートで会えない方が効率が下がるからな」

仕事で毎日会うのに、それだけじゃ足りないのはあたしだけじゃないんだ。

じわじわと幸せな気持ちが湧いてくる。

仕事で疲れていても忙しくても、この夜の短くはない散歩が楽しかったなら、それは幸せだよね。

澄ました顔の教官をちょっと見て微笑む。というか、にやにや笑いが止まらない。

「わかりました!不肖、笠原、教官の効率のためにも連絡します!」

わざと小さく敬礼したのを小突かれる、そんなやり取りがまた嬉しい。

くすくす笑いあって歩けば寮まではあっという間だった。

 

 

 

 

 

thanks つしまのらねこ さま

 

(from 20160226) 

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