「エンドマークのその後に」 ましろ様からの頂き物
*
「おーい堂上、笠原が酔ったみたいだぞ」
賑やかな酒席も佳境をすでに超えた頃。
堂上は奥から自分を呼ぶ同僚の声に、口元に運びかけたグラスをテーブルに戻すと、ひょいと腰を上げた。
すみません、と隊員達が賑やかに談笑する合間を縫うように奥に向かうと、部屋の隅っこの衝立の陰に隠れるようにして郁がウトウトと眠りこけていた。
しょうがないな、と溜息交じりに零すと「おい、笠原」とその肩を揺らす。
今は就業時間中ではないが、周りにいるのが特殊部隊の面々である以上、この場ではあくまでも上司とその部下だ。例え周りから公認の仲とされていても、堂上は公私をわきまえている。
プライベートで見せる表情は億尾にも出さず、だが公認の仲になる以前とは明らかに違う優しげな口調で郁に「大丈夫か」と声をかけると、ゆうらり舟を漕いでいた郁の顎がカクンと跳ね、ゆっくり開かれた瞳が堂上を捉えた。
「もう帰るか?」
堂上の問いかけに、にへらと笑って頷く。
「すみません、こいつ送ってきますんで、先に失礼します」
ほら、立てるか?──堂上に腕を掴まれて立ち上がった郁の膝がくにゃりと折れる。
郁が酒に弱いのは周知の事実だ。
が、今日は比較的アルコール度数の低いカクテルをちびりちびりと慎重に飲んでいたように見えたが、堂上の目が行き届かないところでうっかり限界を超えてしまっていたのだろう。
小牧と手塚に「笠原を送ってくる」と耳打ちすると、郁を支えるようにその場からこっそりと抜け出した。
期待外れ期待通り
──なんだって、こんなになるまで飲むんだよ。
何やら足元が覚束ない様子で、自分にしなだれかかってきた郁に、堂上は盛大な溜息を心の中で落とす。
──せっかく二人っきりになれると思ったんだけどな…。
今日は不定期に開催される特殊部隊の飲み会。つまり、仕事をさっさと切り上げられる日でもある。
こんな絶好の機会だ。できれば郁と二人っきりになれるチャンスを作りたいと算段していた。が、当の郁が酔っぱらってしまっては、二人だけの時間もただの送迎タイムで終わってしまう。
「きょうか~ん、おんぶ~」
堂上の気を知ってか知らずか、郁は甘えた調子で堂上の背中にくっつくと、慣れた動作でぴょんっと背中に飛び乗ってきた。
「おまえなあ…」
「えへへ~、特等席ゲット!」
酔っぱらい相手に何を言ってもしょうがないかと、堂上は諦めてその体を背負うと、夜道をゆっくり歩き出した。
*
そういえば、恋人同士という関係になってから、酔っ払った郁を負ぶって帰るのは初めてだ。
郁の気持ちを知る前は、郁を女性として意識しているのを気取られたくなくて、負ぶって帰る道すがら『無心無心』と邪念を払いながら歩いていた気がする。
でも今は。
今は、邪念を抱いても構わない───んだよな?
背中から郁の体温がじわりと伝わってくる。自分の胸元で交差された長くて細い腕に、ぎゅうっと力が籠もり、ますます密着度が高まる。
──なんか…。その、なんか、背中に、当たるな…。
これまでも郁を何度となく負ぶってきたが、背中に妙な感触を感じたことはなかった。殊更意識しないようにしてきたのもあるが、もしかしたら、と堂上はあることに思い当たる。
──こいつ、もしかしたら今日はスポーツブラじゃないのか?
郁と体を重ねるようになってしばらく経つ。
初めての時、おそらく男性に見せるものとしては不適格だが、スポーツやトレーニングの際には素晴らしい効果を発揮する(らしい)ブラを着用していた。あの夜以来、スポーツブラとやらを拝む機会はなかったが、おそらく業務中は着用しているに違いない。
女性のファッションには不案内だが、今日の郁はデート服ではないにしろ、いつもよりキレイ目の格好をしているなと感じた。
足元はジーンズにスニーカーだったものの、上は普段着のラフなスウェットではなく、体のラインが見て取れるような白いシャツにレモンイエローの薄いカーディガンを羽織っていた。
──まさか…。こいつも、そういうつもりだった…とか。
郁は肉感的な体つきではない。だが、本人が気にするほど女性らしさに欠ける体付きでもない。女性らしさの象徴たる乳房や尻は小ぶりながらも形よく、他の誰にも見せたくない魅力的な体だ。
そんなことを考えていたら、ベッドの中で見せる肢体を脳内でクリアに再生してしまい、背中の感触がより一層敏感に感じられるようになってしまった。
段々と心拍数が上がって妙な気持ちが立ち上ってくるのを自覚する。が、そんな不埒な感情をそのまま恋人にぶつけるにはまだ時期尚早すぎるだろうと判断した。
いつもよりキレイ目な格好をしているのもたまたまかも知れないし、背中に当たる体の感触が違うからと言って、郁がそのつもりの下着を着用してきたかどうかなど、判断がつく訳もない。
上司としてなら手に取る様にわかる郁の思考が、いざプライベートな問題となると全く分からなくなるのも常の事だ。
辺りには品のないけばけばしいネオンで彩られた、ある用途のためだけの場所を提供するホテルが並んでいる。
時間的に、今からいつものホテルで外泊…という訳にもいかない。かといってあんなあけすけな場所に誘うというのはいかがなものか…。いやダメだろう、さすがに。
堂上は、はぁと小さな溜息をひとつ落とす。背中で呑気そうに幸せそうに自分に体を預ける手のかかる恋人が、段々と恨めしくなってきた。
「なぁ郁…歩けないほど酔ってるのか?」
「へ…?ええと、そうですねえ、ちょっとクラクラします」
「そうか…。ひとつ提案があるんだが。もし、お前が辛いなら……」
今から言わんとする言葉を胸の奥で反芻すると、意識して何気なさを装う。
──多分、これを言ったら驚くだろうし、躊躇うだろう…。でも、それでも了承してくれたら。それはOKって意味だよな?
堂上は頭の中で目まぐるしくシミュレーションをすると「…休んで、いくか?」とさらりと声に出した。
さあ、躊躇え!そしてちょっと考えてOKしてくれ!──そんな堂上の気を知ってか知らずか、いやもちろん知らないのだが、郁は悩むことすらなく「ハイッ!!」と妙に元気よく即答した。
「……へ?」
シミュレーションの中に“即決”という項目が入っておらず、思わず堂上は言葉を詰まらせた。
「あれ…?あのぅ、教官、今『休む』って言いませんでした?違うん…ですか?」
段々と小声になる郁の声に、堂上はハッと我に返る。
そうか。こいつの休むは、文字通りの休むだ──そう理解して、「ああ、もうすぐ公園だからな」とまるで先ほどまでの自分の中のせめぎ合いが無かったことのように平静に返した。
「ベンチで少し休めば酔いも抜けるだろ」
危なかった。
ここで下世話な場所に行こうと提案していたら、郁からの評価が奈落の底に落ちたに違いない。
焦るな焦るな。何年我慢したと思ってるんだ。たかだか体が密着したくらいで盛るんじゃない──堂上は久しぶりに『無心無心』と心の中で念ずると、寄って行きなよと誘ってくる派手なネオンから目線を逸らせ、公園のベンチに向かっていた。
*
郁を女子寮の自室まで送ると、部屋には柴崎が待ち構えていた。
ここで変な態度をとったら、柴崎に何を勘繰られるかわかったもんじゃない──堂上は声色を仕事モードに切り替えつつ、少し苦しげに顔を歪めた恋人を介抱する。
窮屈そうなブラウスのボタンを上から2つほど外すと、先ほど背中に感じた下着の正体を確認したくなったが、「あとはあたしがやっておきます」と嗜めるような柴崎の声がかかったので、それはぐっと堪える。
・・・パタン。
部屋の外に出ると、思わず頭を抱えて蹲りたくなった。が、ここは女子寮だと思い出し、慌てて男子寮へと小走りに向かう。
自室に戻ると、真っ先に冷水で顔をバシャバシャと洗った。
──情けない。
酔っ払った恋人をおぶって帰るだけで欲情するなんて──俺はそんなに我慢の効かない男だったかと、今度こそ頭を抱えた。
──でも、郁も悪い。
八つ当たりもいいところだが、堂上は恨み節を続ける。
──なんであんな可愛い格好で飲み会に来るんだ?それに…
それに、背中にあたった感触が、以前と違っていたことも気になった。
──デート用の下着だったんじゃないのか…?
本人がそう言った訳でも、自分の目で確認した訳でもない。
でも、もしかしたら郁もそのつもりだったんじゃ?と思わずにはいられなかった。
──期待させるだけさせやがって…。
結局、俺の空回りかよ、とドサッと腰を下ろしたところで、携帯がブルルと震えて、メールの着信を知らせる。
誰からだ?と画面を見ると、そこには笠原郁の名前。
慌ててメールを開くと『残念でした、柴崎です』の件名が飛び込んでくる。
これ以上追い打ちをかけられたくない、と画面を閉じたくなったが、その短い本文は否が応でも目に入ってきた。
『笠原、今日はデートのつもりでわざわざ着替えて飲み会に行ったみたいですよ………下着も』
読んだ瞬間、テーブルに額をゴツンと落としてしまった。
──だったら、そう言え!
酔っ払って歩けない状態になったら、送ってくるしかないだろうが!!
そういうつもりなら言え!お前が言わないとわからん!!
溢れ出る文句の言葉はぶつける相手がいない。唸りつつ画面を見つめ『了解』とだけ返しておいた。
次の公休日は覚悟しとけよ──堂上は画面を睨むと、頭を掻きむしった。
了
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