+ 眼差し 1 +  結婚期(オリキャラ注意)

 

 

 

 

その噂が郁の耳に入るまで時間はかからなかった。



堂上と郁が結婚して早3年が過ぎた。
郁も特殊部隊としての貫禄もつき、わずか2名ではあるか後輩もできた。
そして、以前から郁の他にも女性隊員を特殊部隊に配属させてはどうかという話はあったが、なかなか人材的に実現しないま数年が過ぎていた。
郁と同じ事がこなせるという前提で女性隊員を特殊部隊へ配属させようと思うから難しいのだ、ということにようやく上層部の気づいたのか。
ある程度の防衛部員としての実力と、館内業務が一通りできること、というハードルを下げ、人材選別に力を入れて始めていた。


その年の新人教育教官は前年同様、手塚と郁が選ばれていたが、今年は女性隊員育成選別の意味もあって、堂上が積極的にオブザーバー的職務に就いていた。
いつまでも特殊部隊唯一の女子隊員、という肩書きをずっと郁だけに与えておきたくない、という個人的な都合も合ったかもしれない、堂上の場合は。


そして防衛部に配属されるであろうという内内示を受けている1人の新人女子隊員と、防衛部4年目の女子隊員、他防衛部3年の男子2名が、例年より早く開催される奥多摩の訓練に同行することとなっていた。

見極めの為もあるので期間は短めで1週間半程。
堂上もその候補生の訓練担当となるために、奥多摩へ同行する。
だが郁の方は、通常の新人教育教官だったため武蔵野に残る。
久々の夫婦別行動だ。


「考えたら、あたしか篤さんのどちらかが他館へ出張、というのはあったけど、こうして訓練なのに離ればなれになることってほとんど無かったよね」
「そうだな、寂しいか?」
「うん、でも平気だよ」
毎日メールもするし、奥多摩なら残業や外で飲み会もないから、きっと電話もできるだろう。
堂上は残業せずに帰宅し、翌日からの奥多摩行きのパッキングを素早く済ませていた。
ソファーに二人並んで座って、食後のカモミールティと郁との会話を楽しんでいたが、あっさりと「平気」という愛しい妻の本音を知るべく、郁の腰へ腕を回して軽く抱き寄せた。

「俺は寂しい」

腰を引き寄せたまま郁の顔を自らの方へ向けさせ、柔らかい唇に口づけた。
最初はそれで済ませるつもりだったが、口づけと同時に薫る郁専用のシャンプーの香りでその箍は外れた。
そのまま角度を変えてつつ、郁の唇を堪能した。

「ん...あ..」

始まった深い口づけに郁の吐息が上がる。腰に置いていた掌をゆっくりと、優しく動かしその愛おしい妻の躯の温度を確かめる。
「郁、少しだけ」
そう囁いたら、郁は唇を一度離した。
そして十数センチの距離のところで上目遣いに堂上の瞳を覗く。
漆黒の瞳が郁を射貫きながらも、悪戯な表情に変わった。
-----少しだけですまないくせに!
郁の瞳はそう訴えていたが、同時にそれは合意のサインだと堂上は勝手に決めて、そのまま郁を抱き上げた。
そのまま郁の右手がリビングの照明の紐を引っ張ったことで郁の「少しだけ」に関する覚悟と堂上の思惑とが一致したのだった。





◇◇◇





奥多摩から帰還後、堂上は小牧とそのまま候補生である4人を預かり指導する特別教育班が組むことになった。
郁と手塚は引き続き新人教育教官を務めていたため、堂上班は完全にバラバラとなっていた。


「堂上一正が預かり教育するってことは、いよいよお前以外にも女性隊員が入るかもな」
手塚が食堂で昼食を取りながら、郁にそう話しかけた。
「そうだね」
堂上班の中で郁を育て上げたという実績を買われてなんだろう。
「篤さんは厳しい表情していても面倒見がいいしね」
「それはお前がさんざん失敗して面倒掛けてただけだろう?」
「それ言うかな?!」
もうっ、と手塚相手に郁は頬を膨らませた。相変わらずからかうとすぐ顔に出るな、そう言って手塚は苦笑した。


特殊部隊候補生、とでもいうべきか。
防衛部から名が上がっている3人は閲覧室業務は新人教育以来なので、徹底して書庫業務と閲覧室業務をこなしていた。
彼ら3人だけは普通に「堂上一正」と呼んだが、新人隊員から候補に上がっている彼女だけは堂上の事を「堂上教官」と呼ぶ。
郁には教育隊から手が離れていった彼女との接点はほとんどないのだが、他の新人からは「堂上教官」と呼ばれる身なので、その呼び名であっても自分でなく堂上の事を呼んでいるという点で、ドキリとしていた。


「...どうじょうきょうかん、か」
口に出したつもりは無かったけど、ぽつりと呟いていた。
教育隊が終わってからも、彼女になってからも、あたしはずっと「堂上教官」呼びだったんだよね。なつかしいな。
今は、そう呼ばれる立場なので、堂上に対しては新人の手前もあって「堂上一正」と声を掛けることが多いが、業務で一緒になることがほとんどないので、今は「篤さん」の呼び方が多いかもしれない。


なんとなく、なんとなくだけど。

教育隊員っじゃない人に呼ばれる「堂上教官」ってなんだか特別な響きなんだよね。
所用で図書館間に入ったときに、その特別な響きが聞こえてきた。ちょうど二人の近くを通り抜けていたらしく、その声の先にいやでも目がいった。決して大声だったわけではない、でも彼女が上官に向ける声と眼差しが、気になったのだ。


「一度しか教えない。わからない時は同期で解決しろ。お前の場合は先輩達だが、今は仲間だと思って構わん」
「はい、堂上教官」
厳しい表情を崩すことなく、淡々と堂上が指導をしていた。
彼女はただひたすら、その堂上の顔を真剣に見つめていた。
真摯に教えを請うているだけではない、その眼差し----。

郁は手にしていた書類のファイルをぎゅっと強く握りしめて、黙ってその場から離れた。





◇◇◇






「特殊部隊候補の新人、知ってるんでしょ?笠原」
結婚してからも同期の友人達は、特殊部隊の連中よろしくで笠原呼びするのがほとんどだ。
「うん」
「いいの?」
「いいのって何が?」

あの子、明らかに堂上一正に恋してるよね。
「いいも何も...」
そう、彼女のあの眼差しは、真剣に業務に取り組む隊員のものでありながらも、恋する女の瞳だった。
「何かされた訳じゃないし...第一、篤さんが取り合うとも思えないし...」
「それが甘いのよ、あんた。男心に100%はあり得ないって」
少なくても自分よりは恋愛経験の豊富な友人が忠告してくれた。



彼女と個人的に話をしたことは一度もない。
新人教官としての立場からしか接したことはなかったが、真面目で心に秘めたパワーを持つ努力家タイプの子だった。感で動いてきた自分とはずいぶん違うタイプの女性隊員になるかもなぁ、と漠然と思ったくらいだ。

その彼女に芽生える上官に「恋い焦がれる気持ち」。
堂上が相手にするとは思えない。だが彼女の堂上を好きだという気持ちもたぶん、止まらないんだろうな。
寝ても覚めても、気がつけば目線で好きな人の背中を、横顔を、追ってしまう気持ち。


好きになるのって理屈じゃない。
好きだと自覚して、囚われてからは、放せなくなった、離れられなくなった。
ただ、今の自分には、公に堂上の隣に立ち続けることを認めて貰ったという立場があるだけ。
それだけだ。


「好きになる」ということだけであれば、ルールも順序も関係ない。
堂上と郁の関係に触れられたら、それを抗う権利は自分にはあるんだとおもう。
だが堂上の気持ちが、例えば相手に惹かれて、自分から離れることがあれば、抗う権利以前の問題だ。
先に出会っていた、妻だった、愛し合っていた、ただそれだけの事実では、今の彼の気持ちは縛れないのだから。

彼女が何か行動を起こした訳じゃない。
堂上が応えた訳じゃない。
でも、彼女の恋する気持ちがよくわかるから...

どんなに堂々としていられる立場であっても、自分に自信のない郁はただ、彼女の強い気持ちに当てられて、マイナスループに気持ちが陥っていった。





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(from 20120731)