+ 眼差し 2 +  結婚期

 

 

 

 

久しぶりに昼食時間が柴崎と重なった。同室のときは、毎晩一緒なのにもかかわらず、昼でもたくさんの会話を交わしてた。
本当は話したいことがたくさんある気がするのに、なぜか柴崎に遠慮、というか、その間に透明なカーテンでもあるような、飛び込んでいけない雰囲気がある。
きっとそれは柴崎のせいじゃなくて...自分のせいだとおもう。
とりとめのない事ばかり、会話している。新人教育のことだったり、手塚の話題だったり、と。

その様子をみてか、柴崎があきれた風で話しを切り出した。

「あんた、ちゃんと教官と話した?」
「何のこと?何話すの?」
「あんたが気にしている事よ」
「何も気にしてないよ」

別に新人教育も順調だし、悩みといえば今日の夕飯のメニューぐらいじゃない?
そんな風に柴崎の前でおどけて見せた。
「じゃあ噂のことは?」
「な、なんの噂?」
はぐらかそうとする郁をじーっと柴崎が見つめる。
美しく黒く大きな瞳は、女の自分でもどきっとするほど柴崎の美しさを語っていた。あたしが心の隅で気にしていることについて、一言も話したことはないのに、美しい彼女には見抜かれている、そう感じた。

「笠原、1つだけ忠告する。あんたが遠慮していると、いいのかな、ってどんどんつけ込まれるわよ」
じゃ、先に行くわね、柴崎はそういってテーブルから離れていった。

郁はめずらしくお茶碗によそわれた米粒を小さく箸で掴んで、口に運んだ。
柴崎の言葉をぼんやりとかみ砕き考えていたら、何を食べても、同じ味しかしないように感じた。






◇◇◇






その噂がどれくらいのものなのか。
寮生活をしているときは、曲がりなりにもいろいろ耳にしたものだが、特殊部隊と新人教育現場の往復で、それこそ食堂ぐらいしか他の隊員との接点がない生活をしていると噂を聞く機会も少ないし、そもそも特殊部隊の隊員は大人の集団なので、からかわれることはあっても、余計な風刺をむやみに口にしたりはしない。


めずらしく郁よりも堂上が早く帰宅して、夕食を作ってくれていた。
「ただいまー」
「お帰り」
重い身体と気持ちを引き摺って帰宅した郁は、堂上に声だけ掛けてキッチンには寄らずにベッドルームへ向かった。

はあぁ。
今日はちょっと疲れた。
スーツのままだと皺になるのは分かっているけど、かばんだけ床に置いて、そのままベッドにダイブした。
見慣れた官舎の天井を見つめると、無意識にため息が出た。
ダメダメ。早く着替えて顔見せに行かないと、きっと篤さんが心配する。

意をけっして身体を起こしてベッドに座った。
その時目にとびこんだのは、かわいらしい小さな手提げ付きの紙袋。
-------一目で女性からのプレゼント、だと思った。


案の定、ベッドルームから出てこない郁の様子を見に、堂上が入ってきた。
「どうした?」
優しい笑顔で堂上は声を掛けてきた。
「ん、ちょっと今日は疲れたなぁって。大丈夫だよ、それだけだからすぐ着替えるね」
「いや、ゆっくりしてろ」
エプロン姿の篤が、ゆっくりとベッドに座る郁に近づく。そして郁の目線の先へ自らも視線を移した。

「ああ-----、あれは訓練中に怪我した谷島に貸したハンカチの代わりに新しいのをよこしたんだ。お礼だといってクッキーも入ってるから、よかったら郁が食べてくれ」
「あ、そ、そうんなんだ、じゃあ、いただくね」
えへへ、と苦笑いしてそう返事した。
「じゃあ、お言葉に甘えて、ちょっとゆっくりしててもいい?」
「そうしておけ」
堂上は郁にバードキスだけ残して、またキッチンへ戻っていった。


そういえば数日前、堂上が訓練中に彼女を抱き上げて医務室に連れ行った話を事務室で耳にした。
部下が足を負傷すれば、堂上ならそれくらいの事はする、その時は、仕方ないことで、普通のことだと、自分で冷静に自分に言い聞かせた。
おそるおそる、ベッドサイドに置かれた可愛い袋に手を掛ける。
金色のシールで封された中には、薄紙で包まれた真新しい純白のハンカチと、可愛い軽くリボンのついた焼き菓子。

普通の事。普通のお礼。ただそれだけだよね?

食べてくれと言われたけど、やはりそんな気持ちにはなれず、その小さな紙袋を再びサイドテーブルに戻した。







◇◇◇






あと数日で新人教育教官の役目も終わる。
そして、各部署への内示ももうすぐ出る。郁もやっと特殊部隊の通常勤務に戻れる-----------そう思っていた。


「あいつら新人4人が編入して来るとなると、いよいよ堂上班もシャッフルかな?」
郁が特殊部隊の事務所に入ろうとしたときに、中からドアの前に立っているらしい先輩の声が聞こえてきた。
「小牧が立つか?もしくは手塚を笠原と立たせるのかな?」
「どうだろうな」


中から聞こえる話し声が一段落したところで、郁は何食わぬ顔をして事務室へ入った。
「お、笠原お疲れー」
すれ違いざまに、先輩が郁の肩をポンっと叩いた。


班編制か...
とうとうなのかな?
入隊以来、そして結婚後も堂上と郁は同じ班だなんて、本来ならおかしいんだと思う。
きっといつかこんな時がくるとは思っていた。
堂上班の班員でなくなるあたし...
そして彼女は...堂上の班員となるのだろうか。そうなってもあたしは普通でいられる?


「お疲れ様です」
事務所内に者にむかって、誰となく声を掛けた。
ぼーっとしていたせいか、事務所に堂上と小牧が戻っていたことに気づかなかった。
「お疲れ、久しぶりだね、笠原さんと事務所で会うの」
「あ、そうですね、小牧教官」
自分がマイナスループ気味な事を考えていたせいか、小牧に声かけられても、その後何を話して良いかわからなかった。
重い雰囲気のまま、郁は自席の椅子をひいた。

「あ、ちょうど給湯室行きますから、教官達の分もコーヒー入れてきますね」
荷物だけ机において、郁は席に着くことなく、給湯室へ向かった。


手塚はまだもどるまで時間が掛かりそうだったから、マグカップは3人分だけ用意した。
こうして堂上班のみんなのコーヒーを一緒にいれることも、もう無くなるのかな。
自嘲気味にそんな考えがうかんだ。そういえば堂上のマグカップは、恋人同士のころに買ったものだ。
おそろいだと、その当時さんざんからかわれた色違いのマグカップ。
そんな頃がなんだか懐かしい。


「笠原さん」
お湯をいれていると、後ろから小牧の声がした。
「言い忘れたんだ、冷蔵庫に頂き物のゼリーがあるから、お茶請けにどうかな?て思って」
「いただいていいんですか?」
「うん」
じゃあ3人分準備しますね、郁はそういいながらスプーンを取り出す。

「笠原さんが来てから、班内でこんなに離れていて行動してたことって、そういえば無かったよね。笠原さんも手塚も、新人教官としては十分一人前だしね、そう防衛部の先輩班長が言ってたよ」
「ありがとうございます」
コーヒーとゼリーをお盆に乗せながら、郁は小牧に訊いてみた。
「小牧教官、特殊部隊に新人が入ってくるということは、堂上班も替わるんですよね、きっと」
「んー、実はまだ俺たちも内々の事すら聞いてないんだ、隊長の腹は決まってそうだけどね、心配?」
小牧は郁に優しく尋ねた。
「いえ」

覚悟はできてるんです。
ほんとは覚悟しようと努力しています、かな。

「久しぶりに会ったら、ちょっと疲れた顔しているから、どうしたのかと思ってね」
相変わらず小牧教官は聡いな、と思った。
実は昨晩は夢見が悪くて、あまりよく眠れなかった。疲れているからと早めに横になったのにもかかわらず。

郁の夢の中には、彼女の熱い眼差しがあった。
堂上が彼女に向き合っているときは、それを見せることはない。ただ、その背中を、その精悍な横顔を見つめるときの眼差しが郁の瞼に焼き付いて、
目を閉じても映し出されていたのだ。


あたしの旦那さまをそんな眼差しで見つめないで。
声に成ることのない郁の願望。

「ちょっと疲れ過ぎちゃって、眠れなかったんですよ、そう言うことありませんか?」
「無くはないかな。あまりひどかったら堂上に相談しなよ」
「はい」


小牧がお盆を持つ郁のために先に出てドアをあけてくれた、その後に続きながら、「小牧教官にも心配掛けてる、しっかりしなきゃ」頬たたきこそできないけど、心の中で自分に喝を入れた。





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(from 20120802)