+ 過ぎゆく夢 前編 +   郁入隊前時期(原作捏造設定)    原作沿いの隙間なお話しとは違います。苦手な方はご注意ください。

 

 

 

 

 

 

この少女に取られた本を返したい、動いた理由はそれだけだった。

ただ小さな勇気を一つしか持っていない彼女が立ち向かった先に、対抗できる唯一のすべを行使した。それがどんな結果をもたらすかわかっていたはずなのに。
泣きだしてしまった少女を慰めるように、軽く頭を叩く。そして彼女が守った本を買っていくように促した。それで二人は終わるはずだった。




堂上が研修中に起こした見計らい権限行使は当然大問題となり、予定を切り上げて関東図書基地に戻ることとなった。
研修先の上官たちに騒ぎの侘びと研修の礼をすませ、仮住まいの独身寮で荷物を簡単にまとめて駅へと歩き出す。ここから駅までは歩くと少し遠い。行きは市内バスを利用したが、その日は歩きたい気分だった。

彼女と彼女の守りたかった本をそのとき唯一対抗できる手段で守ったことは後悔していない。だが、とんでもないことをしたということはわかっていた。所属防衛部の上官にはバカヤロウと電話口で怒鳴られたがそれでは済まないことは承知していた。してしまった事に申し開きする気は毛頭ない。

街を歩き、もうすぐ夕暮れだと気づいて腕時計に目をやる。随分日が暮れるのが早くなったんだな、と夕焼け間近の空を眺めて小さなため息をついた。
そういえば、昨日の少女の足はどうなっただろうか?
良化隊員に突き飛ばされた時、足をひねったようで痛みを堪える表情を浮かべたのを堂上は見逃していなかった。酷くなっていなければいいなと思いつつふと見れば、近くの角から高校生らしき子たちが、次々を表通りへと現れた。そういえば彼女も同じ制服ではなかっただろうか?
堂上は惹かれるように、同じ角を逆に曲がり学生が出てくる門の方へと足を運んでいた。


本気で彼女に会いたいと思っていたわけでも、会えると思っていたわけでもなかった。
できれば門限ギリギリに寮に戻って、誰にも会わずに済ませたい、という思惑もあったが、なんとなく気になってそこへと足を向けた。門の端から少し離れたところに手にしていた旅行バックを置き、門から掃き出されるように出てくる学生たちをぼんやり眺めていた。一斉下校のようなので、部活動などが停止になるような試験前なのかもしれない、などと考えながら。
背が高くてすらりとした少女だったのですぐ見つけられる気がしていたが、10分も経つと、来るか来ないかもわからない少女をこんなところで待っている自分は本当に馬鹿だなと思い直して、バッグを再び手にしようとした時、彼女の姿が目に飛び込んできた。

「あ・・・」
声に出すつもりはなかったのに無意識に口から飛び出していった一言はその少女に届いたらしく、こちらに顔を向けて堂上の瞳をとらえた。
「え・・・?あ・・・の、もしかしたら・・・、昨日の図書隊の人、ですか?」
疑問形で聞かれたのは顔を覚えていなかったからなのか、あの時の少女は堂上の前で立ち止まって尋ねてきた。
「その・・・足の怪我は、大丈夫か?」
「お店ですぐに湿布をもらったので、腫れも痛みも大したことにならなくて・・・大丈夫です」
予想外の出来事に戸惑いの様子をみせながら、堂上より幾分か背の高い彼女は器用な上目遣いでを彼をみながら答えた。
「そうか、ならよかった」
今度こそほんとに立ち去ろうとバッグを持ち上げた時、
「き、昨日は本当にありがとうございましたっ。あ、あたし、あなたに本を守ってもらえたから・・・ずっと、楽しみ待っていたあの本を買うことができました!」
少し焦りながらもしっかりとした口調で少女は堂上に礼を述べた。
「足もすぐに手当してもらえるように、店長さんに言ってくださったとかで・・・おかげでひどくならずに済んだから、テスト明けの大会も大丈夫そうです」
「大会?」
「あ、陸上の選手なんです、短距離の」
だから足は大事にしなきゃならなくて。
ならなおさらあんな無茶するな、と少し怪訝に思ったが、昨日見た少女の気丈に立ち向かった勇気と俯いて泣いている姿が交差して。その眩しくて切ない姿が鮮烈に脳裏に蘇る。
「じゃあ助けてやった甲斐があってよかった」
ぽん、と目の前の少女の頭を軽く叩いた。何気なく昨日と同じことをしてしまったのだが、彼女は驚いて目を見開いた。

じゃあ、と本当に立ち去ろうと向きを変えた時、「あのっ!」と声を掛けられた。
「な、名前、教えて下さいっ!あたし、は笠原郁です」
「・・・堂上篤だ」
堂上は、少し考えてから、スーツの胸元から名刺を一枚取り出して渡した。だが、プライベートな連絡先などを記すことはなかった。




◆◆◆




関東図書基地に戻ってからの事態はある程度覚悟していたものの、前代未聞の事態であったために堂上の予想の上を行く大問題とされた。
始末書と査問会の繰り返しに、基地内での冷たい視線。自分の間違った行動に反省はしたが、後悔はしなかった。重く、苦しいため息が零れるときは、あの時守った少女の気丈な姿と泣き顔、そして笠原郁と名乗ってくれた時にみせてくれた笑顔を思い出し、そっと癒やされた。これでよかったんだと。
彼女に会えたからこそ、欠点だらけの自分を切り捨てようと本気で思えた。



季節が移り、桜の開花はいつだとかテレビのニュースで話題になるころ、堂上の元に一枚のはがきが届いた。
差出人は『笠原郁』。
あの時の少女からの便りには、『春から東京の大学に通います。寮生活です』という言葉とともに、小さくメールアドレスが書かれていた。



そのメールアドレスに初めて送ったのは、もらった手紙のお礼と大学入学おめでとうの一言。
それから時折、思い出したように簡単な近況報告のようなメールが届く。あの本屋での出来事しか接点がないのだから、交わす会話は少ない。
堂上は昔から誰かとまめにメールのやりとりをするタイプではなかったが、彼女もいまどきの学生には珍しく、それほどメールであれこれと言ってくるタイプではなかったようで。
一ヶ月ぶりぐらいに届いたなー、と思えば、なぜか学食のお気に入りメニューの写真付きだったのには正直笑った。
図書隊の食堂の日替わりのアジフライ定食を写して送り返したら、一言『大好物です、美味しそう』と返ってきた。

陸上の試合での結果がぽつりと届くこともあった。『調子が出なくて予選落ちでした。全国の壁は高いです』とか。もし傍らでそんな風に呟かれたら、ぽんっと頭に手を乗せて励ましてあげられたのに、と出来もせぬことを思いながら『ぽんぽん、次に向かって励めよ』と送れば、『はいっ』と短く返ってきた。その返信の先にはきっと彼女の俯いた泣き顔から笑顔に変わった表情があっただろう、と思えた。忘れることのない、あの表情。

そんなやりとりを季節の便りのように時々交わす。

彼女にしてみたら、俺はあの時助けてくれた単なる一図書隊員でしかないのだろう。
本が好きだということは、メールのやりとりで伝わってきた。一度、武蔵野図書館に遊びに行けば会えますか?と聞かれた時には、防衛部員だから図書館にはほとんどいない、と答えた。
その時、なぜか此処へは来てほしくない、と思ったから。それ以来、図書館に来たいと言い出すことはなかったので、正直ホッとしていた。


互いに東京に居るのだから、会う気になればいつでも会えるのだろうに、どちらも『会おう』ということなく一年が過ぎた。
彼女はも陸上推薦で入学しているから練習はもちろん、学業もおろそかにすることができず、それでも時折短期のバイトとかしてると言うから忙しいのだろう。
そして堂上も入隊して二年が過ぎたところで特殊部隊へ異動となり、また勝手の違う業務や過酷な訓練も加わり慌ただしく日々を過ごしていた。




◆◆◆




夏も過ぎ、強い日差しの中にも空の高さに秋を感じ始めた頃、久しぶりに彼女からのメールが届いた。
『誕生日が過ぎて二十歳になりました。よかったらお酒の飲み方を教えてくれませんか?』と。

そういえば誕生日がいつなのかと、聞いたことも聞かれたこともなかった。
初めて、彼女が会いたいと言ってくれた。それは、大人になったから、という意味だろうか。それとも、単に社交辞令か。
酒、というのだから、会うのは夜なのだろう。その先の公休日をいくつかピックアップしてメールを返した。
そして2年ぶりに、俺は彼女と会うことになった。


待ち合わせはベタに新宿アルタ前にした。人も多いが誰でも知っていそうな場所。
彼女は時間から少し遅れた頃に息を切らせてやってきた。
「遅れて・・・、すみませんっ」
まだはぁはぁと呼吸を整えながら、ぺこりと深く頭を下げた。
「いや、いい。大して待ってない、気にしなくていい」
目下にある茶色がかった柔らかい髪にぽんぽんと触れた、あの時のように。時折みる夢のように。
少し驚いた様子で顔をあげた、彼女はようやく笑顔を向けてくれた。
「ひさし・・・ぶりですね、お元気でしたか?」
当たり障りのない挨拶をしてきた。たしかに、メールで時折言葉を交わしていても、2年も顔をあわせていなかったのだから、覚えていないかとさえ思ったが、お互いにすぐわかった。
「ああ、君も元気そうでよかった。それより何処か行きたい店はあるか?」
「え、あ・・・?」
どうやら、何も考えてなかったらしい。
「あ、その、今日何着ていこうかとか、そんなことばっかり考えてて・・・何処へ行くかとか全然調べてなくて」
すみません・・・消え入りそうな声で小さくなる姿が可愛らしく見えた。
「いや、君の二十歳のお祝いだから、俺が考えておくべきだよな。じゃあ任されていいか?何、なら飲める?」
「部の規律が厳しいので、本当に二十歳になるまでお酒飲んだ事がなかったんです、運動部は不祥事とかになったら大変だから。この前、誕生日に寮で同級生がお祝いしてれた時は、ビールにチャレンジしましたけど、まだ少ししか飲めなくて、あとはカクテルみたいなのをちょっと・・・でもすぐ赤くなっちゃって」
少し緊張した様子で上擦った声でぱたぱたと喋った。
「わかった、じゃあ食べ物は何がいい?」
「なんでも食べれます!」
時間はまだ5時を回ったところなので、夕飯には少し早い。
「じゃあ、行くか」
堂上は頭の中で目的地までの道のりを描きつ、彼女の数歩先を歩いた。




◆◆◆




最初に堂上は入ったのは、ビアバーの看板のかかった店だった。少し薄暗い店内にハイカウンター。狭めの店内にはぽつりぽつりと人が座っていた。
堂上は少し奥へ入ってカウンターに座った。習って郁も隣に座る。当然のことながらこんなところ来たことはない。大人っぽい雰囲気に思わず目が泳ぐ。
「ビール、飲んでみるか?それとも他の物にするか?」
どうしよう、と少し悩む。せっかくビアバーとあったのだから、ビールを飲んでみたい。だけど一杯飲めるかどうか。
「苦手だったら、俺が残りは飲んでやる」
堂上はそういってくれたので、じゃあビールにします、と答えた。お酒の飲み方を教えて欲しいとメールしたのだから、やはりここはチャレンジすべきだと思った。

ウエイターがオーダーに合わせて、生ビールを注いでいた。目の前でなされるその様子を郁はじっと見つめていた。その真剣な眼差しが堂上には新鮮に写った。
---------あの時怖くて泣いていた少女も、大人になったんだな。
まさか隣でグラスを傾けることになろうとは想像もしなかったが。

コースターの上に置かれたビールは微妙に色が違っていた。同じもの?と首をかしげていた郁に、
「こっちがビール、こっちはハーフ&ハーフといって黒ビールとビールが混ざっている。ハーフの方が苦味が少ないから、どちらでも好きな方を選んでいい。なんなら飲み比べてもいいぞ」
「いいんですか?」
同じグラスを相飲みになるけどな・・・とは口にしなかった。気にするかどうかは彼女次第だ。
「じゃあ、最初は普通の一口だけもらっていいですか?」
そういう郁の前に、すうっとビールの乗ったコースターを滑らせた。

互いにグラスを握ると顔を向き合わせた。少し照れくさそうにな顔をしている様子にどきりとさせられた。
「笠原さん、成人おめでとう」
「あ、ありがとうございますっ」
軽くグラスを重ねてから、郁は恐る恐るビールを口にした。
「あ・・・苦いけど、美味しいかも、これ」
少しなら飲めそうです、と笑った。
「生と缶ビールとかじゃ、味も違うからな」
郁は数口、ちびちびと嗜んでから、そっちも飲んでみていいですか?と聞いた。堂上の飲みかけでも気にしない様子だったので、そのままグラスを差し出した。
「あ、こっちは苦味が少ない」
「飲めそうな方を選んでいい」
じゃあ、こっちを、とハーフ&ハーフをそのまま飲み続けた。しばらくして、ウインナーの盛り合わせが出されると、また小さく歓喜の声をあげた。
「当たり障りがないけど、ビールにはこれが一番合うな」
そういいながら、フォークでウインナーを差して互いにかぶりついた。美味しいです、とまた笑顔で応えてくれたのが素直に嬉しかった。


結局、堂上が一杯半飲み干してから店を出た。
レジのところで郁は財布を取り出したのだが、このお店の雰囲気で「自分の分は出します!」と押したらさすがに拙い、と感じたので、その場はじっと堂上が会計するのを待った。
そして店の外で千円札を一枚堂上に差し出して頭を下げる。
「・・・俺は社会人だし、今日は君のお祝いだからこれは受け取らない」
「そ、そういうわけには行きませんっ。あたしがお願いしたことですし!」
「他に何をしてあげるわけでもないんだ、素直に今日は奢られておけ。次からは割り勘にするから」
学生に出させるとか、そんな気は全くないが、収めるためにそう告げた。
「・・・じゃあ次は絶対そうしてください」
「わかった、じゃあ次いくぞ」
促されて再び郁は堂上の後に続いて歩き始めた。




◆◆◆




次に入ったのは雑居ビルの中にある店だった。狭いエレベーターに乗り合わせて10階まで上がった。
目の前には入り口がひとつしか無いその店は、鉄板焼きと書かれていた。お好み焼きとかそんな感じなのだろうか?と思って中に入ると、郁の想像とは全く違った洒落た店だった。


店員に促されて奥へと入る。平日の早い時間だからか店内の客は少なかった。先ほどと同じく、カウンターに座るとハイカウンターの先に大きな鉄板が見えた。
堂上は渡されたメニューでコースをオーダーし、郁に飲み物を尋ねた。
アルコールじゃなくてもいいぞ?と言われたが、郁は結局オレンジ系のロングカクテルの様なものをチョイスした。
「一度しか来たことがなくてウル覚えだったんだが、空いててよかった」
話から察すると、結構人気のあるお店らしい。
最初に飲み物と前菜の皿が出されて、再び二人は乾杯をした。堂上はまたビールを頼んでした。
「ビール、好きなんですね」
「そうだな、無難だが外れることもないしな」
「はずれって?」
「そうだな、サワーとかは店で作るから、同じ物でも使う焼酎とか濃さによって上手い不味いがあるから」
「そうなんですか?」
「まあ、一概には言えないが、酒の値段が安い店のサワーとかはあまり美味くないし、悪酔いすることもある」
なるほど・・・と郁は感心する。
「だからビールとか日本酒とか、そのまま飲めるものを頼むことが多いな、俺は」
「やっぱりお酒強いんですね」
「やっぱりってなんだ?」
「えっ、いや、大人だから?」
慌てて郁は大人のくくりで弁解する。学生の郁からすれば、社会人の自分は少し遠い存在なのだろうか。
「笠原さんも、もう大人だろ?」
「・・・そうでしたね」
まだ、学生だからぬるい大人ですけど。そう言って二人で笑った。こんなに長い時間一緒に過ごすのは当然初めてだというのに、あまり違和感なく隣に座っていられる。これもメールのやりとりのせいなのだろうか。

そしてぽつりぽつりと、互いの身の上の話題が出た。
郁には兄が3人居ること。堂上には妹が居ること。堂上は図書大卒で図書隊に入隊したこと、など。互いに接点がなかったために、話題にすることがなかった話。少しずつ互いの事を理解しつつ、酒と食事を堪能した。

目の前の鉄板に板前さんが食材を並べて焼き始める。
最初は焼き野菜、次に魚介類、最後には牛肉が焼かれ、その場でサイコロ状に切り分けられた後、焼きたてを目の前の皿に出してくれる。
「鉄板焼き、ってこういうものなんですね、初めて知りました」
「上手いし、ちょっと気分もいいだろう?」
板さん独占してな、といえば、そうですね、美味しいし!と満面の笑顔で返してくれた。旨いものを素直に美味しいと言って食べる女はいい。堂上はそんな風に思った。

郁は美味しい美味しいと食しながら、顔が火照ってきたらしく掌を団扇のようにして仰いでいた。
「酔ったか?」
「ちょっと顔が熱くて」
無理しない方がいい、と堂上は水をオーダーしてくれた。
「少し多めに飲んどけ」
郁はそのアドバイスをきちんと聞いた。

食後のデザートのアイスをよかったら二人分食べていいぞ、と言われて遠慮無く食べた。
「よく食うな」とからかわれたら、「甘い物は別腹なんです!」と少し頬をふくらませて返した。あの見計らい事件しか接点の無い2人なのに、屈託無く話して笑った。



食事が終わって店を出る頃には時計が8時を差そうとしていた。
「寮の最寄り駅はどこだったか?送っていく」
何処の大学だとか、何処の駅だとかはいままで聞いたことがなかった。当り障りのない、互いのことをあまり語らないメールのやりとりだったから、踏み込んでは行けないと思っていたのだ、こうして会うまでは。
初めて長い時間、初対面に近い女と過ごしていたはずなのに・・・・・・まるで昔から知っている同士のように居心地がよかった。
彼女は緊張していたのかもしれない。初めてのお酒にドキドキしっぱなしです、と話していたが、それはアルコールのせいだったのかどうか。

だが彼女は俺に対して、あくまでも『あの時自分を助けてくれた、図書隊員の大人の人』という意識をしているらしく、頑なに一線を引いて年下としても、女としても甘えてくるようなことはなかった。案の定、食事の支払いも『次は割り勘って言ったじゃないですか!』と言われたが、『次っていうのは次回会う時だ、阿呆』と割り勘は拒否した。

「へ?まだ8時ですから、全然平気ですよ?30分ぐらいですしひとりで帰れます」
「駅についたら十分遅い時間だろう?それに酔ってる」
「もー、何言ってるんですか?寮の門限10時ですし!9時前なんて普通にコンビニとか出かけてますし」
「送っていくのは迷惑なのか?」
「いえ、そういう話じゃなくて!」
困った顔をして郁は立ちすくんだ。
「・・・そんなに、子供扱いしなくても、平気です・・・。まっすぐ歩いてますし、言われたとおり水もたくさん飲みましたからすぐ酔いも覚めます」
「すまん、そんなつもりじゃなかった」
女の子だから心配で、といえば伝わるのだろうか。だが、子供扱いと気にしている彼女の気持ちを刺激したくなかった。
「じゃあ、ホームまで送る。新宿は酔っぱらいが多いから、いいか?」
「はい」
その申し出には素直に頷いてくれた。

ふたりともJRだったので駅構内も一緒に入って問題なかった。だが利用する路線は別々だったので、ホームまでゆっくり階段をあがる。
やはり歩いて酔いが回ったのか、少し息をきらせていた様子だったので、左手をとって手を引いてやった。触れたとたん、ビクリと郁が小さく震えた。
「だ・・・大丈夫です」
「いいから」
有無をいわさずそのまま手を引いてホームまで辿り着く。電車はひっきりなしに来るので、一旦ベンチに座らせて自販機で購入した水を手渡した。
素直に蓋を開けて、水をごくごくと飲む。
「ほんとに平気か?」
「はい、今日はありがとうございました、凄く楽しかったです、たくさんご馳走にもなってしまって・・・美味しかったです、ご飯もお酒も」
「大人になったお祝いだから、気にしないでいい」
そう言うと、堂上は肩に掛けていたバックの中から、小さな巾着でラッピングされた袋を取り出し郁の手に乗せた。
「ほんとに大したものじゃない。パワーストーン、と言ったか。妹に相談して決めたんだが、気に入らなかったら使わなくてもいいから」
この場で開けられたら恥ずかしい。それに重いものを贈るつもりではなかったので、気楽に受け取って貰えるように中身をばらした。
「え、ほんと・・・嬉しいです・・・なんか色々すいません」
少し泣きそうな位の俯き加減だったので心配になった。
「じゃあ・・・お言葉に甘えます。開けても、いいですか?」
簡単な包装にしてあったので、すっとリボンを解いて巾着を開けた。ああっ、と感嘆の声をあげ、郁は嬉しいそうな笑みを浮かべて中身を取り出し、腕に嵌めた。
「・・・可愛い、ありがとうございます、ほんとに」
淡い水色と水晶のブレスレットをじっと見つめ、愛おしそうに何度も撫でてくるくるとまわしていた。

じゃあまた、と言って、電車のドアガラスの向こうで見せてくれた笑顔は、堂上にとって忘れられないものになった。





◆◆◆




その日の夜、無事に寮に着きました、とお礼のメールが届いた。
次に会う約束をしたわけでもなく、そのあとしばらくは互いに忙しかったこともあり、メールも途絶えた。郁はもうすぐ授業が始まるし秋には大会があるといってたので大変なのだろう。
図書館は読書の秋を迎えて、また年末に向けてイベントもあり堂上自身も警備やら訓練やらもあって忙しく過ごしていた。



その後、忘れた頃に大会の結果がメールで届いた。郁としてはまずまずだったらしい。
12月頃お休みがありますか?と聞かれてまた公休予定を送った。アルバイトがあるので、少ししか時間が無いけど、できたら会って欲しい旨を言われてこの前より少し早い時間に再び新宿で待ち合わせた。


少し洒落た風体の喫茶店に入り、郁はケーキセットを頼んだ。
「それは、ハーブティ?」
知らない名前のお茶をオーダーしていたので聞いてみた。
「ええ、カモミールティです。男の人はあまり飲みませんよね?」
「ああ、知らないな」
「カモミールって、別名カミツレとも言うんです。図書隊のマーク、ってこの花ですよね」
「そうだったか」
「そうですよ、あとで調べてみてくださいね」
と、久しぶりにみる笑顔は屈託なく眩しい。こうして俺を呼び出す彼女は、俺のことをどんな風に思っているのだろうか。

「少し早いんですけど、堂上さんにクリスマスプレゼントを渡したくて。あ、この前のお礼なので、お返しは要りませんから」
そう言って手提げ袋を差し出された。そんな気を遣わせたくなくて、ほんの少しだけ困ったのだが、自分の事を思ってプレゼントを用意してくれたのだから素直に受け取る。
「見てもいいか?」
うん、と頷いたのでその場で袋を開けると、グレイッシュなマフラーが出てきた。
「ちょっと地味かな、って思ったんですけど、男の人の物ってわからなくて。でも触り心地がよかったので、邪魔にならなかったら使ってください」
「ああ、ちょっと驚いた。ありがとう・・・」
クリスマスプレゼントとか、予想もしてなかったので本当に驚いた。少し恥ずかしい心持ちだったがもらったマフラーを首に巻いて見せる。
「よかった、似合ってる」
その満面な笑みをみれただけで、堂上は素直に嬉しく思えた。
「じゃあ遠慮なく使う、ありがとう」
あまり時間がない、と言っていたが、小一時間位二人でとりとめのない話に花を咲かせた。



彼女にもクリスマスプレゼントを贈ってやろうと思い、寮の住所を尋ねたが『お返しされたら、また返さなきゃならないから』と教えてくれなかった。
最寄り駅は聞いていたのできっと調べる気になればわかっただろうが、ストーカーのように思われるのも嫌で、そこまではしなかった。

ときおりくれるメールと、あの時の笑顔で。
不思議な事にそれだけで堂上の心は満たされていた。
本当は彼女の事がすごく気になっていた。だが、彼女の態度はどこまでも遠慮がちで『助けてくれた図書隊の人』の域を抜けていないんだな、と思えた。さり気なく、彼氏の話を振ってみたら、『彼氏なんて生まれてこの方いた事がないです、傷口に塩を塗らないでください!』とメールが返ってきて苦笑しながらホッとした。

もう少し、俺が踏み込んで行けば、彼女は俺を男として見てくれる可能性があるだろうか、と。





後編へ

(from 20131004)