+ 鬼教官の番犬 前編 +  上下部下期間フリーSS









「今回だけ教官の犬になってあげます!」
そう郁が宣言したのはいつのことだったか。



新入隊員で基地内が賑やかになる季節に堂上と小牧が錬成教官として赴くのは初めてではない。
その間、郁と手塚は堂上たちを含む教官職についた隊員が抜けた後のフォローに入ったり、図書館業務に回されたり、となんとなく落ち着かない日々を送る。結果として手塚とバディを組んで行動することが続いていた。

「新入隊員とお昼被ると食堂激混みだよねー、だけど今日はアジフライだから食堂で食べたいしなぁ」
そうぼやいてみたが、残念なことに郁と手塚に割り当てられた昼休憩は完全に新人と重なる時間だった。
「教官達は士官食堂行っちゃうよね?」
「だろう、この時期のここは混むだけだし新人に気を遣ってよっぽどじゃなきゃこっちには来ない」
そうなのだ。普段はボリュームのある一般食堂を郁達と一緒に利用している堂上と小牧も、新入隊員の錬成教官である間は殆どこちらに顔を出さない。それは賑やかなのを避けているのではなく、新人に休憩時まで余計な気を遣わせたくないからという心遣いなのだと郁が知ったのはつい最近の事だ。

朝、定時に特殊部隊事務所に出勤しても、錬成教官達はその時間には準備やミーティングなどで教官控室となっている小会議室に篭って仕事をしている。
事務所に戻ってこなすような仕事が在ったとしても堂上達はもっと戻りが遅いので殆ど顔を合わせない。もっとも郁に書類業務で残業が回ってくることが殆ど無いので事務所に長居する理由もなく。

もう一週間くらい顔を合わせていない気がする。

いままでも教官達が出張という事はあった。日帰りだったり数日間だったりとまちまちではあったけれど。
上官と別行動なのはごく普通にあったことなのに、基地内のあそこにいるのだろう、ってわかっているのに、顔を合わすことがないという珍しい状況になぜか戸惑いを感じていた。
「どうかしてる、あたし」
「は?」
口から漏れていたらしく、目の前で食事をとる手塚が怪訝な顔で郁を見上げた。
「お前がどうかしてるのは今に始まった事じゃないだろ」
涼しい顔をして味噌汁を啜っている姿をみたら無性に腹が立った。
「っていつもじゃないでしょ?!ったく喧嘩売るかな?!久々に道場行く!?」
そう返してもきっと涼しげに交わすんだろうな、こいつは、と思ったら。
「・・・お前がそうしたいなら、たまには付き合ってやっても良い」
うわっ、珍し。食ってかかられるか、馬鹿にされるかを予想していたのに予想外に同意されて郁は拍子抜けした。手塚もどこか・・・?

「何、今度はなんの勝負?!」
「小牧教官!」
聞き慣れた声が斜め後ろから聞こえて振り向くと、会いたと思った2人の上官がトレーを持っている姿をみて郁の顔はぱあっと華やいだ。
隣どうぞ、とばかりに郁は椅子を少し引いて彼らが通りやすいようにした。
「久しぶりだね、2人ともどう?」
小牧は定番の穏やか笑顔で話しかけてきた。堂上は相変わらずのクールな表情を崩さないが、こうして堂上班が4人と揃うとなんだかホッとする。
「はい、極めて順調に職務遂行してますっ」
「そうそれは良かった」
くすくすと笑いながら小牧が答える。
「まあ新人教育期間はどうしても訓練不足になるし、業務部と防衛部のフォローの時間も長くなるから身体がなまるか。それで勝負?」
「そうだな、身体がなまるという意味では俺たちも同じだな。じゃあ課業後に少しやるか?」
「って、教官達はそんな暇ないじゃないですか!遅くまで打ち合わせとか準備とか。て、手塚と2人で平気ですから!」
固い表情を変えぬまま堂上が提案してきたのを郁は慌てて一蹴すると、怪訝な顔に表情を変えた。
「・・・俺たちが相手じゃ不満か?笠原」
「いえっ、滅相もない!謹んでお願いいたしますっ!」
郁は何をとっちらかったか、立ち上がって敬礼のおまけ付きで答えた。
食堂内の視線を一身に浴びて。
馬鹿・・・という同期同僚の吐息混じりの呟きと、上戸に入りそうになった上官の笑いを抑える声が聞こえたのはいうまでもない。


後から来た堂上達の食事が終わるまで、郁と手塚はお茶を啜っていた。こうして4人で昼食を取っていても何故かざわざわと落ち着かない。
かくゆう堂上達は十分ほどで食事を終えて冷めたお茶を一気に飲み干すと、行くぞ、と席を立った。
あ、やっぱり教官達は忙しいんだ、と思っていたらじっと見つめられ、さっさとしろ、と合図された。
あわてて郁も立ち上がりトレーに手を掛けたとき、初めて視線を感じた---------それは四方八方から。うわっ、もしかしてあたし、大声あげたから目立ってたとか!?
「お前なぁ・・・、少しは自覚しとけ」
しかめっ面を崩さす先を行く堂上と、笑いを堪えながら郁に微笑む小牧に続こうと立ち上がった手塚に釘を刺される。って、まただだ漏れしてた!?
「自覚ってナニよ・・・」
そう食って掛かったものの恥ずかしくて勢いが付かない。

「笠原」
トレーの上の食器を返却口で片付け終えたあと、先を歩いていたはずの堂上に呼ばれる。わずかな距離だが郁は慌てて訓練速度で堂上の元まで急ぐと、ポンっと肩に手を置かれてぐっと引かれた---------と思ったら顔が近づいてきて耳打ちされた・・・!
『一八○○に道場な』
突然の出来事に思考がついて行かず、頬に熱が集中するのを感じながら言葉もなくコクコクと首を縦に振った。仕掛けた本人はその様子をみてクスりと小さく笑うと、片手を上げて小牧と二人、教官用会議室へと戻っていった。




「ふうん、まあ、いろいろ大変だよね、堂上も」
「何の事だ」
「そんな周りくどいことしなくても、って思うけどね、虫よけ。今の関係のままじゃそれ以上の事はできないかぁ」
堂上は小牧のからかいに無言で先を急ぐ。何百人と隊員はいるのに錬成教官期間はどうしても視線を浴びやすい、特に新人隊員を中心に。そして毎年の事だが、手塚と郁はしょっぱなから特殊部隊に抜擢された逸材で、特に郁は特殊部隊初の女性隊員という肩書きが付きまとうので普通にしていたも目立つ存在なのだ、本人たちは自覚していようがしていまいが。
慣れない研修や訓練と不安で、新人同士で徒党と組むのは仕方ない。その妙な連帯感を持ちながらいろいろな情報収集をするものだから、あっという間に有ること無いことが広まる。
「大声で稼業後に自主練やるなんて聞こえてみろ。見学させてくれ、とか新人に言われたら敵わん」
「じゃそういうことにしておくか。でも真っ赤になった笠原さん、可愛かったよ?」
その小牧の言葉に含まれる意味はわかっている。が、言い返せばさらにからかわれそうなので仏頂面のまま訓練速度で移動する。「ほんっと、お前はわかりやすよね。会いたかったなら何もこんなに早く引き上げてくることないのに」と小牧は独り言のように後ろで話すが、長く食堂に居座れば必ず新人が絡んでくる。今年の新人は特に---------。

まあ、怖いもの知らずだからねぇ。

というのは、先日の小牧の弁。
自分が新人の頃を考えたら錬成教官なんて、入隊して一番初めに対峙するおっかない上官であるのが普通なのに、なぜか今年の新人はよくも悪くもアプローチが激しい。彼らの目につくところでぼんやりしていたらたちまち囲まれるのだ。




「確かに、今年は上官狙いっぽい娘が多いかなぁ」
郁と手塚が事務室で食後のお茶を啜っていると、柴崎が書類を届けに特殊部隊事務室にやってきた。彼女は遅番で昼食はこれかららしい。
「業務部から座学の講義に出でいる錬成教官はおじさんが多いからよけいだとは思うけど、まあ、今年の新人は馴れ馴れしいっていうか図々しい、ていう話は聞くわ。まあ、その原因はわかってるけど」
それは噂に疎い郁たちでも聞いて知っていた。図書基地隊員の子息子女の入隊者が多いのだ。だからなのか、先輩隊員や上官に対しても馴れ馴れしいというか、若干上目線というか・・・。まあ、入隊まではこちら側も『○○三監のお嬢さん』だったりするので、多少気を使っていた面もあるのだが。
そのせいか、どうも特殊部隊であろうが、錬成教官であろうが、気安く話ができるものだと思っている風潮があり、堂上は怪訝な顔をしっぱなしだったのだ。
まあ、たしかに上官の娘さん、とか息子さんとか、って扱いにくいだろうなー、と郁は柴崎の話を聞きながら納得する。まあ訓練時には、当然そういう私情を挟むことはないのだろうけど、その前後が。
「業務部に新人が実習にくるのはもう少し後だけど、訓練はしょっぱなだからね」
つまり一番接点が多いのが訓練の錬成教官なわけで。一般食堂で堂上達に会えたのは嬉しかったけど、仏頂面を崩すことなく食事を終えたらさっさと教官控室へ戻っていってしまったのもそのためだろう。しばらくぶりに顔をみれて嬉しかった、なんて思っていたのはきっと自分だけで、そんな邪な気持ちを持っているのが恥ずかしい。

自分の感情に『恋』だという名をつけてしまってからは、憧れ、だけでなく嫉妬という気持ちも恋には存在するのだとすんなり納得できた。
いいなあ、好きだなあ、とかつて学生時代に持った感情と最初は同じで。
だけど、好きでいることはこんなに辛く切ない想いを伴うなんて。そんな『恋』は初めてだった。

唯一自慢の脚で追いかけて、ぶつかってしまうのは難しくなかった、今までは。だけど------------この恋だけは玉砕したくない。してしまったら、もう隣に立つことは公私ともに叶わない気がして。
恋する女は強くなるとか絶対嘘だと思う。
堂上のことが頭から離れなくて、どんどん自分が弱くなる気がする。
会えないときが続けば会いたい。かつて自分だけに向けられた、鬼教官からは想像できない堂上の表情をそっと思い出す。そんな夜は少し幸せになって、少し泣きたくなる。
だって、そんな女の子みたいな感情、あたしには似合わないから。きっとそんな素振りを見せたら、熱でもあるのか?って笑われるか、引かれる。

時折遠くで、新人たちに浴びせる怒号が聞こえてくる。鬼教官の声がグラウンドに響き渡るのは、懐かしくて切ない。
あの人が、あたしにとっていつまでも鬼教官なだけだったらよかった。王子様でも、追いかけたい人でもなく。

そうしたら、ただただ褒められるためだけに頑張るただの忠犬で居られたかもしれないのに。

------------恋する乙女心なんて醜いだけだ。






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(fromi 20131019)