+ 図書館の夢 2 +  「みなみのこえ」みなとさま転載許可いただいたSS (オリキャラ注意:図書隊パラレル設定)






 それから数日後、郁は図書隊に戻ってきたが少し妙なことになった。
 総務部といろいろ話し合った結果、郁は寮を出ることになったのだ。
「妹と一緒に住むので、独身で特例ですが、官舎に行くことになりました」
 二人で図書館の外に部屋を借りるのはやはり郁の給料だけではつらく、その点官舎なら寮ほどではないが家賃も安い。両親が残してくれた遺産などもそれなりにあったが、これからのために手をつけない決心をした。
 寮で同室だった柴崎は寂しがった。まあ、こればかりは仕方がない。
 親戚に預けることも考えたが、桃が郁の傍にいることを希望したのだ。

 郁は図書館近くの小学校などへ出向き、一年生の桃の編入手続きや実家からの引っ越しなどでいろいろ忙しくしていた。
 寮から官舎への引っ越しも終わり、やっと落ち着いたのは両親が亡くなって一週間ほどしてからだった。
 それからやっと郁が職場に復帰し、桃が学校から早く帰ってきたときや学校が休みの時などは、官舎に住む他の家族が桃を預かってくれたり、官舎で同じ年の子どもと仲良く遊んだりしてくれたので、郁は助かっていた。
 ただ……。

「郁ちゃん、大丈夫?」
 桃が台所に立つ郁に声をかけるが、郁は必死で声を出せない。
 目の前にあるジャガイモの皮むきに相当時間をかけているのだ。
 不揃いのキュウリやコーン、細いにんじんなどを見る限り、恐らくポテトサラダを作るつもりなのだろう。
 ご飯はとっくに炊けている。
 おかずはとりあえず魚をグリルで塩焼きしてあるし、お味噌汁もできている。
 だからサラダを作りたい、というわけだ。
 おなかすいたなあ……。
 郁が帰ってきてから夕飯を作っているのだが、すでに8時を過ぎている。
 だけど郁ちゃんが必死だからまあいいか、と桃はお風呂のセットをした。
「桃、できたよ!」
 何とかできあがった夕飯を食べ終わり、桃が学校の用意をして、お風呂に入ったらもう9時を過ぎていた。
「郁ちゃん、眠たい」
「うん」
 和室に二つ敷いた布団に桃が寝る。
 その横で、郁が桃に本を持って来て読み始めた。
 毎晩、母親がしてあげていた習慣なのだ。
 郁が本を好きになった理由である。
 トムソーヤの冒険のちょうど中間辺りで桃が目を閉じた。
 郁がしばらく黙っていると、桃の息はすうすうと規則正しくなり、ホッとする。
 桃がいてくれて良かった。
 あたしだけだったら、こんなに早く立ち直れない。
 郁は桃の頭をそっと撫で、和室の電気を消した。

 それから郁の大変な作業が始まる。
 夕飯の茶碗を洗い、明日の朝食の準備をする。
 そして桃から渡された学校からのプリントに目を通して、いろいろ保護者として準備する物やプリントの記入などやることは意外に多くて、慣れない郁は毎日苦労してしまうのだ。
 それが終わってから訓練服を干したり、お風呂に入ったりと自分の仕事をする。
 最近寝る時間が遅くなってしまうのはどうしようもない。
 手作りのレッスンバッグや体操着入れ、上靴入れなど、前の学校といろいろサイズなどが違ったりして郁は官舎の奥さん達に頼んで教えてもらい、必死で作ったのだ。
 はっきりいってうまいとは言えない代物なのだが、桃は嬉しそうに学校へ持って行ってくれた。
 何とも、できた妹である。

「行ってきまーす」
 朝は二人で官舎を出る。
できるだけ桃一人で学校へ出したくないのだ。帰りはどうしようもないけど、せめて行くときくらいは一人にしたくない。
「じゃあ、郁ちゃんがんばってね」
「はーい」
「はいは短く」
「はい!」
 桃に指摘されて郁が舌を出す。
 全くしっかりした妹だ。16も年が違うのに。
 両親が年を取ってからできたからだろう。郁も大学で家になかなか帰れずに、桃は一人っ子のようにかわいがられて、躾もしっかりされている。
 郁の方はといえば、両親が若いときに生まれたからなのか自由に育てられ、どっちかというと放任だった。おかげでやんちゃで野放図に育ったわけだが。

 さすがに眠い……。
 郁は桃を見送って職場に向かう。
 官舎に来てから一ヶ月が過ぎた。まだ少し夏の名残か、朝だというのに肌にもわっと空気がまとわりつくようだ。
 毎日寝不足なのは郁自身のせいだ。
 料理も裁縫も何もできないのは、今まで何もしてこなかった自分が怠惰だったからだ。
 この眠さはそのツケだ。
 よし、今日もがんばるぞ!!
 郁は両手でパチンと頬を叩いた。
 



「待ちなさい!!」
 書架作業中だった。閲覧室から警備を振り切って逃げ出した男を、郁が追いかける。
 足の速さでお前になんか負けるか! とばかりに郁が男に追いついてそのまま襟首を掴み、背負い投げをした。
 ………した、が。
 そのままふっと郁の力が抜け、男の下敷きになった。
「笠原!」
 後から追いついてきた堂上や小牧が男を手錠にかける。
「おいっ! 大丈夫か!?」
 堂上がうつぶせのままの郁の肩を掴んで起こす。
「……笠原?」
 起こしたはずの郁の息づかいはやたらと規則正しい。
 郁は、すやすやと眠っていた。



「バカな子……」
 気持ちよさそうに仮眠室のベッドで寝ている郁の横に柴崎と堂上がいる。
 口ではバカと言いながらも、柴崎の目はとても優しい。
「最近、調子が悪そうだったが……」
 両親が亡くなってからまだ一ヶ月ちょっとだ。
 だからすぐには調子も出ないだろうと考えていた。
「それもあるかもしれません。でも、このムスメはいきなり小学一年生の保護者ですからね。いろいろ大変みたいですよ」
「……」
 堂上が郁の頭をそっと撫でる。
 起こさないように優しく。
「大体、料理なんてまるでできないのに、毎日作るのに何時間もかかっちゃって。……それでも妹に手作りのご飯を食べさせたいって意地があるんでしょうね」
「不器用だからな」
 そりゃ相当時間がかかるだろう。
 堂上が薄く笑う。
 だけど郁のいじらしさは、堂上の胸を打つ。
「官舎の奥様達もいろいろ気を遣ってくれて助かってるみたいです」
「そうか……」
 郁の明るい性格だ。きっと官舎でも人気者なんだろう。
「寝不足は肌に良くないのに……ああもう髪もトリートメントしないで傷んでるじゃないの」
 このムスメは自分のことなど二の次なのだ。

「頼られないのも、つらいもんだな」

 思わず堂上から愚痴が出た。
 自分勝手な愚痴だ。
「ホントそうですよね」
 柴崎も同調した。



「あれ……?」
 郁が気がついたときはもう夕方だった。
 時計をみるとすでに業務終了時間だ。
「うわ! 日報!!」
 急いで書いて官舎に戻らないと! 買い物だって行ってないのに!
 慌てて起き上がって事務室に戻ると、他の隊員達は帰ったらしく堂上だけが残って椅子に座っていた。
「起きたのか?」
「は、はい! すみませんっ! ご迷惑をおかけしました!」
 あたし窃盗犯をとっつかまえてそれからどうした???
 仮眠室で寝ちゃってたということは誰かが運んでくれたはずで……。
「あの……」
 郁は恐る恐る堂上に聞いた。
「何だ?」
「あたし、いつの間に仮眠室に?」
「お前、背負い投げしかけてそのままつぶれて寝てたからな。……俺が運んだ」
 ええええっ!?
 ど、堂上教官が!?
 郁がアタフタと慌てる姿に、堂上が眉根を寄せる。
「俺が運んだらまずいのか?」
「い、いえ! 光栄です!!」
 ………。
 ば、バカあたし!! 光栄って何だ!? 意味は何だ!?
 堂上が郁の発言にクッと笑う。
「どういたしまして、だ」
 う、わ。
 笑った……。
 堂上教官が、笑った。
 あんまり見たことのない不意打ちの笑顔に、郁の心臓が跳ねる。
「すみません……あたし重かったですよね? でっかいし」
 身長が165㎝の堂上よりも郁が5㎝高い。
 だけど、堂上は肩を竦めた。
「ぬいぐるみみたいに軽かったぞ。ちゃんと食ってんのか?」
「食べてます!」
 病気になんかなるわけにはいかないのだ。郁には桃がいる。郁が絶対倒れるわけにはいかない。
 だからちゃんと食べている。
 だったら危険の多い図書隊にいるべきではないのかもしれない。
 郁に何かあったら、桃は独りになってしまう。
 ここにいたいと思うのは、郁の都合だ。郁の勝手だ。
 桃のためには安全な職業に就くべきなのだろう。だけど、あたしはここにいたいのだ。
 郁が唇を噛む。
 堂上はじっと郁を見つめてすっと立ち上がった。
 
「今から出られるか?」

「はい?」
「桃ちゃんも呼んでこい。何か食べに行くぞ」
「え? え?」
 戸惑う郁の傍に行き、頭をポンと撫でる。

「お前のおかげで窃盗犯を捕まえることができた。足の速い部下へのお祝いに俺が奢ってやる」



「うわー! お子様ランチ!」
 桃がレストランではしゃいでいる。
 ワンプレートに乗せられたゼリーやおもちゃに喜んでいる姿はまだまだかわいい子どもで、郁も顔が緩んだ。
「よかったね、桃」
「うん。郁ちゃんの時間がかかる料理もいいけどね。たまにはこういう贅沢をしたいよね」
「ぐ」
 時間がかかるってのは、余計だ。
 堂上はクッと笑ってビールを片手に唐揚げや串などを食べていた。
 郁はまた心臓が跳ねた。
 一体何だ!? 堂上教官はあたしの心臓を止める気か!?
 今日は何回も堂上教官の笑顔を見た気がする。
 ……ううん、気がする、じゃなくて、見ているんだ。
 桃がいるせいなのか、堂上はよく笑っていた。
 郁に対してはほぼ90%が叱責だ。残り10%は連絡事項くらいか?
 どうせあたしは叱られてばっかりですよーっだ!
 むくれてジュースを飲んでいると、堂上がテーブルの向こうから手を伸ばしてコツンと郁の額を小突いた。
「何を拗ねてんだ? 料理が苦手だってとこか?」
 むー! そういうこと言うか!? 女性に向かって!!
 郁はますますむくれて堂上を睨んだ。
「……堂上教官、いつも口やかましいくせに」
 今日は優しくて変。
 堂上がますます笑う。
「お前が毎日バカなことしでかすからだろう? 俺のせいじゃない」
「バカとは何ですか!」
「アホウの方だったか?」
「違う!」
 口を尖らせる郁に桃がツンツンと肘をつけた。
「郁ちゃん、奢ってくれる人には愛嬌だよ」
 郁は台に突っ伏して、堂上は我慢できずに吹き出した。
 ……実にしっかりした妹である。




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