+ セシールの雨傘 +    「過ぎゆく夢」前 設定の堂郁SSS:番外編

 

 

 

 

 

---------思っていたより随分早く雨足が強くなったな。

 

地下鉄からJRに乗り換えるついでに寄りたい店があったのを思い出し、地上へ上がった。こんなに降っているなら地下通路を使うべきだったか、と時計を確認しながら天気予報を思い出す。まだ3時を少し過ぎたところで、夕方から本降りと言っていた予報より早いな、と空を見上げた。曇天の厚い雨雲がしっかりと居座り、少し待てば小雨になる、というような様子はなかった。

まあいい。雨の中歩くのも、今の浮かない気分にはお誂え向きだ、と失笑しながら傘を広げて通りへ足を踏み出したその瞬間---------向かう先に咲く見覚えのあるオレンジ色の傘が目に飛び込んできた。

 

『--------いく』

 

口にしたことがない、その名を心の中で呟く。

雨のカーテンが出来るほど土砂降りの中で咲く華やかな傘。オレンジの地に白い花柄が鏤められた傘の下に見える顔は、間違いなく彼女だった。職業柄、遠目が利くのも良し悪しだと、小さく自分を嘲笑う。

信号が青に変わり、人々が足早に横断歩道を渡り始めるのに合わせて、鼓動の高まりを抑えながら彼女の居た方へ向かう。

 

すれ違う少し前に、視界を遮るように深くさしていた傘を少し上げて彼女を伺うと---------視線が合った、ほんの刹那。

 

すると彼女は俺を見たくない、と言うように傘を傾けて視線を遮り----------すれ違った、知らん顔して。

 

 

ああ、当然だ。

俺が彼女にした仕打ちを思えば。

 

あれほど優しくしてきたのに、自分の浅はかな行動で彼女の人生を変えてしまったのだ、と縋る背中すら見せることなくバッサリと一切の繋がりを絶ったのは俺の方なのだから。

 

 

 

 

◆◆◆

 

 

 

 

愛しいと思った気持ちに偽りはなかった。

『彼女を助けたある図書隊員』の域を超えて、社会人の俺に少しずつ心を開いてくれた彼女が愛おしいと、思うようになった。

不安で泣き出しそうな顔しかその時までは知らなかった。だが、東京で再会して溢れる笑顔を見せてくれた。素直に喜び、感謝をし、自分の今を精一杯生きている彼女を見守れる事が嬉しかった。できることなら、その笑顔をこの手にしたい、と思うようになるのは自然な気持ちだった。

 

彼女のペースで、ゆっくりと。

そんな時間を楽しんでいた。彼女が俺を、一人の男として意識してくれたら---------それを待つのもまた楽しみだと思いを馳せながら。

 

 

あと少し、互いが手を伸ばせば願いは叶うように思えたのに。

彼女が「図書隊を目指す」と口にした瞬間、愛しさも、恋情も、欲望も、全てを捨てた。

 

---------俺が間違った正義を振るったから。

武器を手にし『図書館の自由に関する宣言』の解釈一つを胸に、メディア規制法に立ち向かうことを選んだ図書隊は、正義の味方ではないのに。

『この少女に取られた本を返したい』

それだけだったはずなのに、控えめに交わしてきた『東京での知り合い』と『以前助けたことがある少女』の枠を超えて彼女に手を伸ばしたから、罰が当たったのか?

 

いつから彼女が図書隊への憧れを抱いたのかは知らない。だが図書隊の現実を知って、正義の味方にはなれないことを知って傷ついて欲しくない。

俺が彼女への想いも、繋がりも、全てを断ち切り、非情にすることで、いっそ俺に、図書隊に幻滅してくれたら、諦めてくれたら、と思ったのは俺のエゴでしか無いと解っていたが。

 

 

 

 

◆◆◆

 

 

 

 

土砂降りの中、彼女と同じ歩調で隣を歩く男がいた。

彼女より背の高い、年上らしき男が。

 

『郁、大丈夫か?』

 

強い雨音の中で、本当に堂上の耳に聞こえたわけではない。ただ、その男が、当たり前のように彼女をそう呼んだ、そんな気がして。

---------まるで平手打ちを食らった後の様に、頭の中が真っ白になった、その優しそうな男の気配で。

 

 

ああ、そうだな。

本当に彼女を優しく包むような男のオーラに、少しだけホッとした。

---------彼女がこの先、傷つくことがなければ、それでいいんだ。

彼女を癒すことも出来ず、傷つけた俺が願える立場ではないと解っていながらも、願わざるをえない。もう、ずっとずっと遠くで、想うことしか叶わないのだから。

 

 

 

 

◆◆◆

 

 

 

 

堂上がちょうど渡りきったところで歩行者用信号が点滅し始めた。足を止めて、反対側へと渡ったオレンジの花柄傘を見つめる。

地下鉄に降りる階段の入口に立つと、彼女は不意に振り返りまっすぐにこちらを見つめた、泣きそうな瞳をして。

 

---------そして泣き顔のまま、彼女は俺に微笑んだ、一瞬。

 

傘を畳むと、隣の男に手を取られて彼女は階段を下りていった。もちろん隣の兄に『滑るなよ、受験前に』とからかわれながら手を差し伸べられていた、なんてことは堂上は知らない。

 

 

『絶対に、採用試験に合格するんだもん』

自分との繋がりを絶ち、何も始まらなかったのに、全てを終わりにした一人の男を、郁は想い、呟く。

あの人が助けてくれて、教えてくれて、導いてくれると思っていたのに、それは郁の独り相撲だったのだと、突然思い知らされた。あの人が教えてくれた、初めてのお酒も、初めての大人のつきあいも、デートみたいな時間も・・・。

 

---------夢を見させてもらったのだと、あれらはあたしを唯一、女の子扱いしてもらえたという夢のような出来事だったと、と今なら割り切れる。かつてみた夢は、今は幻。

理由もなく断ち切られ、小さな憧れの気持ちすら捨てざるをえなかった。ある意味、恋情を、憧情を捨てさせられた。

郁の元に残ったのは『本を守りたい』という思いだけ。それしか無かったけれど、それしか無いからこそ、諦めたくないと思った。だから----------

 

 

「どうした郁?何かあったのか?」

郁の長兄が連れ立つ愛妹の沈んだ面持ちが気になって、エスカレーターの上から声を掛けた。

「ん、なんでもない。寮まで、送ってくれるよね?」

「ああ、今日は特別な」

妹の心にも雨が降っていることを察したように、兄は優しく郁の頭にぽんぽんとあやすような掌を落とした。

 

 

---------その掌が、すれ違ったあの男の掌に変わるときが来るのを知ってか知らずにか。

 

 

 

 

fin

(from 20140601)
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